髷をつけた現代劇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 01:05 UTC 版)
山中の監督作品とシナリオは、山中が執筆の中心にいた梶原金八の作品を含めて、すべて時代劇映画である。その時代劇映画の特徴は、現代の小市民と同じような日常生活感や庶民感情、または軽快なユーモアやペーソスを採り入れたり、セリフも従来の時代劇映画の「左様然らば」調ではなく、現代語の日常会話に変えたりしたことで、それまで現代劇と完全に区別されていた時代劇を現代劇のような表現で撮影したことが特徴的である。映画評論家の筈見恒夫は、それを「現代の小市民が髷をつけて時代劇の雰囲気に住んでいる」と表現している。こうした特徴を持つ山中と梶原金八の作品は「髷をつけた現代劇」と総称されており、とくに山中のそれは「時代劇の小市民映画」とも呼ばれている。小市民映画は1930年代前半に流行した小市民の日常生活や庶民感情を主題とした現代劇映画のことである。山中の「時代劇の小市民映画」は、小市民映画の代表的監督で親交のあった小津安二郎作品の影響を受けており、その題材やスタイルを受け入れて創造したものである。 このような山中の「時代劇の小市民映画」の作風が確立し始めたのは『風流活人剣』辺りからであり、筈見はその主人公である長屋に住む失業浪人の中に現代人の憂鬱と無気力が反映されていると指摘している。それ以後の『国定忠次』『丹下左膳余話 百萬両の壺』『街の入墨者』『河内山宗俊』『人情紙風船』などの作品は、江戸時代の庶民たちの生活、とくに長屋の住人たちの生活や人間群像を描き、そこに小市民映画的な特性を与えており、映画史研究者の山本喜久男はそれらの作品群を「長屋もの」と呼んでいる。しかし、『風流活人剣』以前の作品である『磯の源太 抱寝の長脇差』『小判しぐれ』などの流れ者のヤクザを主人公にした股旅物にも、現代の小市民の感情や思想が反映されており、小市民映画的なスタイルが見られることが指摘されている。 山中や梶原金八は「髷をつけた現代劇」を志向するために、従来の時代劇映画とは異なる登場人物を造形した。従来の時代劇映画の主人公は英雄豪傑や封建的な侍の忠義を尽くす人物や、伊藤大輔作品に代表されるような仰々しく怒号を叫喚するニヒルで反抗的な人物である場合が多かった。山中や梶原金八はそれに対するアンチテーゼとして、長屋の住人のような庶民や、侍の忠義にとらわれない浪人やヤクザなど、市井のどこにでもいるような人物を主人公にし、それも明るくて現代人と同じような人物として描いた。映画評論家の佐藤忠男は、山中作品の登場人物のタイプは、才気や度胸があり、人情やユーモアをわきまえた粋な人物であると指摘し、そのような描き方で「時代劇の登場人物に現代に生きている人間と同じデリケートな感情を通じさせた」と述べている。山中はそれまで反逆的な悲劇の英雄として描かれてきた国定忠治や丹下左膳のような人物でさえも、『国定忠次』『丹下左膳余話 百萬両の壺』で市井の庶民と同じような人物に変容して描いている。とくに『丹下左膳余話 百萬両の壺』では、伊藤作品などで悲愴な怪剣士として知られた左膳を、女房の経営する矢場の用心棒としてヒモ同然の生活を送り、女房の尻に敷かれながら孤児の世話に焼く、ユーモアのある子供好きでお人好しの庶民的な人物として描いている。
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