髭黒と玉鬘の子供の年齢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/29 09:30 UTC 版)
「源氏物語年立」の記事における「髭黒と玉鬘の子供の年齢」の解説
「藤裏葉」巻において、光源氏の四十の賀の際に玉鬘の産んだ二人の子供が夕霧の二人の子供と共に「振分髪の直垂姿」で舞を舞ったとされているが、髭黒と玉鬘の最初の子供は「真木柱」巻の末年で生まれており、さらにはその弟まで含めて「振分髪の直垂姿」になるためには「梅枝」巻が「真木柱」巻の翌年のことだとすると不自然であるとされる。 『河海抄』は、このとき「振分髪の直垂姿」で舞を舞ったのは髭黒と玉鬘の子供ではなく髭黒と前の北の方の間の子供であるとしている 高橋和夫は「梅枝」巻は「真木柱」巻の翌年のことではなく翌々年のことであり、この両巻の間には1年の空白があるとしている 長谷川(常磐井)和子は作者のミステイクの一つであるとしている。
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