高度成長期以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 01:45 UTC 版)
高度成長期には近隣の日間賀島や篠島で大規模な観光開発が行なわれたが、佐久島は大手資本の開発を拒否。バブル期に持ち上がったヨットハーバーの建設計画やゴルフ場リゾート開発計画も実現していない。1972年(昭和47年)には無医状態となったが、1978年(昭和53年)には町営診療所が完成し、与論島(鹿児島県)から着任した医師が離島医療にあたった。1980年(昭和55年)には医師の定年退職により再び無医状態となったが、1981年(昭和56年)以降は自治医科大学卒の医師が3年交代で常駐している。 1989年(平成元年)に竣工した海上自衛隊のはつしま型掃海艇に「さくしま」(MSC-671)の名前が付けられた。同艦は2004年(平成16年)11月29日に佐久島に寄港しており、2013年(平成25年)に除籍となった。 1993年(平成5年)には高知県から約38,000m2の砂を運んで砂浜を造成し、1994年(平成6年)にはウミガメが来訪した。2009年(平成21年)にはにほんの里100選に選出された。 2011年(平成23年)4月1日、一色町が西尾市と合併し、「幡豆郡一色町大字佐久島○○」という住所表記が「西尾市一色町佐久島○○」となった。2011年(平成23年)9月から12月にかけて、愛知県は「あいちの離島80日間チャレンジ」という離島観光振興キャンペーンを行なった。佐久島には27歳の女性イラストレーターが80日間滞在し、インターネット上で島にまつわる漫画を公開するなどの活動を行なった。 2012年(平成24年)4月には耕作放棄地を利用した宿泊滞在型農業体験施設「佐久島クラインガルテン」が開園。日本で初めて離島に開園したクラインガルテンであり、ロフトと農園が併設された10区画には10倍の応募があった。上述のイラストレーターは三河湾三島のゆるキャラのデザインを担当し、同年10月には特産の大アサリ(ウチムラサキ)をモチーフにした「あさりん」がお披露目された。
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