駅前橋と駅前大橋とは? わかりやすく解説

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駅前橋と駅前大橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/11 04:02 UTC 版)

駅前大橋 (広島市)」の記事における「駅前橋と駅前大橋」の解説

広島駅1894年明治27年6月10日開業するが、当時駅と広島市中心部を結ぶ江戸時代整備された旧西国街道筋で当時国道筋であった猿猴橋京橋ルートのみであったその後1906年明治39年上流側栄橋が、1912年大正元年広島電気軌道(現広島電鉄本線当時電車専用)が整備された。つまり、駅から市中心部へのルートは十分確保されていた状況だった。ただ、近隣住民駅前にも欲していた。 昭和入り徳永信男市議会議員が「駅前建設提案、澤發一市議会議員発起人となり、大須賀材木商加藤による1万円寄付加藤および川本常次郎・川本元三郎・田村萬蔵土地無償提供により建設されることとなり、1932年昭和7年)に木橋として竣工した。場所は現在地ではなく、すこし上流側松原町10番交差点付近にあった(右地図参照)。これを記念して駅前記念碑」も建立された。 1945年昭和20年8月6日広島市への原子爆弾投下により被爆爆心地より2km以内位置し木橋であったことから焼け落ちてしまう。当時のその付近にいた被爆者証言ですぐ発火し落橋したとある。 戦後1949年昭和24年広島平和記念都市建設法公布施行され戦災復興事業として現在地に「駅前大橋」の架橋決定1956年昭和31年8月開通した当初幅員30mが確保され市で最も広い幅員であったが、予算不足照明着けられなかった。数年後照明つけられた。 その後老朽化交通量増大や「広島駅南口地区市街地再開発事業」や「広島駅南口地下広場整備事業に伴い架け替え決定1991年平成3年着工2001年平成12年3月竣工した。1幹線道路であるため、旧橋の両外側に仮車道と仮歩道橋2つずつ計4つ仮橋作られ交通そのまま通したまま工事進められた。幅員を50mに拡幅車線を6車線から11車線にし当時県内で最も多い車線数となり、歩道両側に6mとられ、ゆとりあるものとなった

※この「駅前橋と駅前大橋」の解説は、「駅前大橋 (広島市)」の解説の一部です。
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