食肉加工産業の全盛期と衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/20 16:09 UTC 版)
「フライ・ベントス」の記事における「食肉加工産業の全盛期と衰退」の解説
「フライ・ベントス」の需要は第二次世界大戦の期間が最盛期であった。連合国への肉の供給者として、「フライ・ベントス」のコンビーフ缶は1943年だけで1,600万缶以上がヨーロッパへ出荷された。フライ・ベントスのアングロ食肉加工工場は、その全盛期に50か国以上から5,000人以上の労働者を雇い、1時間に400頭の牛を処理した。当時の「フライ・ベントス」に対する需要の結果、ウルグアイの通貨はアメリカ・ドルよりも高い価値となった。 第二次世界大戦直後の数年間、「フライ・ベントス」の製品はイギリスにおいて不可欠な食料品であった。製品の範囲はステーキ・アンド・キドニー・パイの缶詰、および牛挽き肉や玉ねぎなどに拡大された。1958年にヴェスティ・グループはイギリスで「フライ・ベントス」ブランドのパイの製造を開始した。しかし、1964年に南米から輸入された「フライ・ベントス」のコンビーフの缶詰に由来する腸チフスの大流行がアバディーンで発生し(1964年のアバディーンにおける腸チフスの大流行(英語版)を参照)、コンビーフのブランドへの著しい損害を招いた。その後の調査により、工場の缶詰の製造工程で使用された冷却水が継続して塩素消毒されていなかったことが明らかとなった。一方ではイギリスの共同市場への参入が食肉市場の貿易形態に悪影響を与えていた。これらの要因が組み合わさることによって販売に深刻な影響が及ぶようになり、1971年には工場と関連施設がウルグアイ政府に売却された。工場の稼働状況は二度と回復することはなく、生産は1979年に完全に停止し、地域の住民に深刻な打撃を与えた。 その後、2008年にブラジルの食品加工会社であるマルフリグ・グローバル・フーズ(英語版)がフライ・ベントスに食肉加工工場を建設し、以前のアングロ食肉加工工場より小規模ではあるものの、イギリスとアメリカ向けにコンビーフの生産を再開した。また、2011年4月には、東日本大震災の支援物資として、4,600缶(1,500キログラム)のコンビーフがフライ・ベントスから日本へ送られた。
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