飛行場工場の概要とは? わかりやすく解説

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飛行場・工場の概要

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/08 17:29 UTC 版)

大府飛行場」の記事における「飛行場・工場の概要」の解説

起工し30ヵ月後の1944年昭和19年4月6日にようやく飛行場竣工した大府飛行場三菱にとって永年の夢が実ったのだった各務原飛行場から飛来し九九式艦上爆撃機三菱MC-20の2機によって初の離着陸テストが行なわれ、見事に成功した完成した飛行場合計66万平メートル建物に3800台にのぼる工作機械備えつけられ、「三菱航空機知多工場」、または「三菱第五製作所」、または「三菱航空機知多整備工場」と呼ばれた知多工場各地工場作られ飛行機主要部品を集めて組み立て最終工場であり、試験飛行をして、軍へ引き渡す役割持っていた。 エンジン名古屋市東区大幸町の発動機製作所から運ばれたし、主翼部分胴体尾翼部分名古屋市港区大江町岡崎一宮工場などからトラック鉄道輸送した1944年以降国鉄(現・東海旅客鉄道JR東海))大府駅から三菱専用側線敷設され鉄道による部品搬入が可能となった専用側線軌道延長3337m。工事費735000円。飛行場への進入急勾配のため、スイッチバック方式となっていた。 組立工場のラインは2本で、いつも10前後流れ作業組み立てていたが、最初三菱MC-20百式司令部偵察機だった。 ラインはまもなく四式重爆撃機飛龍または飛竜)が占めようになった戦局が急を告げる中で、月産60機を突破したことが2度あったが、テストパイロット工場長兼務)も含めて3人しかいなかった1回テストで済む飛行機もあれば4回、5回と試験飛行なければならないものもあって多忙極めたという。 飛行場規模は、主滑走路長さ1300m・幅60m、誘導走路長さ1000m・幅30mであった別に東西補助滑走路計画されたが、終戦にて実現できなかった。主滑走路北西端部が円形膨らみマッチ棒のような形状をなしていた。同様な形状近隣にあった中島飛行機半田製作所陸軍清洲飛行場採用していた。 冬に風が強かったことを除けば、さほどむずかしい飛行場ではなかったという。 大府飛行場飛び出った四式重爆撃機は、工場長記憶によると三重県亀山市奥の山の中へ空輸することが多かった深井沢と呼んでいたところで、長さ1000mほどの十文字滑走路持った秘密飛行場だった。本土決戦備えて飛行機温存策の一環なのか、四式重爆撃機着陸するとすぐ松林隠された。 飛行場位置形態から、この秘密飛行場三重県鈴鹿市にあった追分飛行場現在の東名阪自動車道 鈴鹿インターチェンジ真北位置する1947年当時追分飛行場付近航空写真出典国土地理院地図空中写真閲覧サービス)と考えられる。 なお、この大府飛行場から「完成品離陸させるまでに至らなかった」とする文献があるが、真偽わからない

※この「飛行場・工場の概要」の解説は、「大府飛行場」の解説の一部です。
「飛行場・工場の概要」を含む「大府飛行場」の記事については、「大府飛行場」の概要を参照ください。

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