飛行場基地の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/24 14:40 UTC 版)
「都城東・西飛行場」の記事における「飛行場基地の状況」の解説
都城東飛行場は南国特有の緑の山々に囲まれた都城盆地の東側を流れる沖水川の川原に連なって南北に設置された飛行場であり、南北に約1,500メートル、東西に約500メートルほどで勿論、滑走路等はなく自然の草原であった。西側は高さ2メートルほどの川の堤防が連なり、東側は幾分開けて村落や森林が点在し、東南側は高さ50メートルほどの丘陵地帯があり、北側にも森林や丘陵のある地形だった。 従って、部隊の宿舎は東南側の丘陵地帯を利用して半地下壕式に造られ、東および北側の森林等には敵の爆撃からの損害を避けるため、飛行場から2メートルほどの範囲に広く掩体が散在しうまく航空機を隠蔽していた。 西飛行場には基地の裏側(格納庫の反対側)に通常内地の訓練基地には配置されない飛行場大隊(基地の警備、管理、通信、物資の補給等に従事する部隊)が派遣されていた。こうした兵力配置は有事の際に後方基地より強力な航空部隊を進出させ、第一線基地として運用するための下準備であった。 通信部隊は福岡、新田原、鹿屋、木脇、知覧、万世等の各飛行場群との相互対信通信(群通信系の確立)や、足摺岬、細島、都井岬、佐多岬、雲仙、済州島、等の陸海電探情報の傍受、そして西部軍や沖縄32軍発信の、北は千島から南はウルシー、印度国境に至る迄の敵機の来襲状況を伝達する防空情報の傍受等、完全な実戦配備であった。その後の戦局悪化によって西飛行場においては戦備の強化が図られ、重要施設には地下移転命令が出され軍民共に1日3交替の24時間作業で地下壕が建設され、通信施設等は地下に移転された。その地下壕の一つは第100飛行団の作戦室となっていた。
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