飛行場の稼動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/08 14:02 UTC 版)
1920年12月、陸軍に「航空第3大隊」が結成され、八日市へ配属が決定した。部隊は1921年11月から順次八日市へ移動し、1922年1月11日に八日市飛行場に名称を変更した。同時に航空第3大隊の開隊式が行なわれた。1925年には冲原神社が創祀された。八日市飛行場に配備された航空第3大隊長の意向で、出兵する隊員達の安全祈願と連隊の守護神及び当地の人々を守護する神社と位置づけされた。航空第3大隊は同年に飛行第3連隊に改称して戦闘機2個中隊・偵察機1個中隊の飛行機約50機を持つ編成となった。飛行第3連隊は満州事変・日中戦争に一部隊を派兵し1938年飛行第3戦隊に改称されて爆撃機部隊となった。戦隊は太平洋戦争が開始された翌年の1942年に樺太の豊原市に全隊移動した。その後第104教育飛行連隊が配属された。さらに太平洋戦争終戦時では、航空部隊として第8航空教育隊・飛行第244戦隊等、陸上部隊として第254飛行場大隊・独立機関砲第56中隊等が駐屯していた。戦中には飛行場の拡張も行われた。八日市では終戦直前の7月24日・25日に米軍機による銃撃があり、飛行場も攻撃され民間人4名が死亡した。
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