音楽性とタイトル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 01:26 UTC 版)
「十七歳の地図 (アルバム)」の記事における「音楽性とタイトル」の解説
僕が会って間もないころの尾崎の音楽は、どちらかというと叙情派フォークというべきものだった。声はすごくいいと思ったし、たくさん詞を書く力もあると思ったけど、実は音楽的にはイマイチだと思ってたんだよね。つまり、いま思われてるような、すごくエッジが効いてるというか、シャープな感じは、最初全然なかった。 須藤晃, 地球音楽ライブラリー 尾崎豊 アルバムタイトルは中上健次の小説『十九歳の地図』(1973年)に登場する新聞配達の少年と尾崎のイメージを重ねていた事から、須藤が『十七歳の地図』と決定した。レコーディング開始前に尾崎が持参したデモテープに収録されていた曲は、須藤にとっては叙情派フォークのような音楽性であり、声質や歌詞には着目していたが、音楽的には突出したものがないと判断されていた。また、オーディションで演奏された「ダンスホール」のテープを聴いた須藤は、歌詞が大人びている事から「この歌は、コイツ(尾崎)が創ったんじゃないよ」と周囲に断言していた。その後須藤は自身が甲州街道の歩道橋を渡っていた時に車の流れをずっと見続け、車の流れの先に夕陽が沈む光景を見て涙が止まらなくなった事を尾崎に語り、その後尾崎が制作した曲が「十七歳の地図」となった。また「十七歳の地図」の完成度に驚愕した須藤は、「ダンスホール」を始めそれ以外のデモテープの作品も全て尾崎自身が制作していると確信する事となった。 その後須藤からロックンロールの曲を入れる提案を受けた尾崎は「ロックンロールって何ですか?」と質問をしたため、須藤はチャック・ベリーやバディ・ホリーなどを例に出した他、事務所の先輩であるHOUND DOGの曲を聴かせて説明した。須藤は尾崎に対して様々なレコードを提供しており、尾崎は当初からビリー・ジョエルやブルース・スプリングスティーン、アナーキーを愛好していた他、浜田省吾や佐野元春に特に強い関心を抱いていた。尾崎本人がアルバム制作未経験であり、完全に打ち解けた話し合いが行える状況ではなかった事から、本作の一部曲タイトルや曲順は須藤によって決定された。本作において尾崎は自身の周囲にある街の風景を描いているため、「冷たい街の風に歌い続けてる」という歌詞で終了する「僕が僕であるために」が最終曲として選定された。須藤は尾崎の想定外のものにはなっていないはずであると述べている。 『KAWADE夢ムック 尾崎豊』にて音楽ライターの松井巧は、佐野元春のバックバンドを務めた西本明や浜田省吾のサポートメンバーであった町支寛二の他に、ギタリストとして鳥山雄司や北島健二などの実力派プレイヤーによるセッションワークが特徴であると指摘した他、ニュー・ウェイヴが流行していた時代故のエレクトリックサウンドであると主張、さらに尾崎が影響を受けていたジャクソン・ブラウンやブルース・スプリングスティーンのようなアメリカン・ロック風のタイトな曲や感傷的なバラードを中心に構成されていると指摘した。また同書にて詩人の和合亮一は、時代によって音楽のデジタル化が進む中で「I LOVE YOU」や「OH MY LITTLE GIRL」が長く取り上げられているのは「技術では産み出せぬ何かが」あると述べ、映画評論家の北小路隆志はサウンドが「いかにも80年代的」であると述べた他、「ハイスクールRock'n'Roll」は途中でレゲエが挿入されるなど洗練された作りになっていると主張した。音楽誌『別冊宝島1009 音楽誌が書かないJポップ批評35 尾崎豊 FOREVER YOUNG』においてフリーライターの河田拓也は、「80年代ニューミュージックの定型を出るものには聴こえない」と指摘し、後のJ-POPの原型ともなる音作りであると述べた他、「いわゆる『ドンシャリ』の無機的で冷たく平板な音」とも述べている。
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