震災と再建に向けた動きとは? わかりやすく解説

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震災と再建に向けた動き

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 15:54 UTC 版)

六角堂 (北茨城市)」の記事における「震災と再建に向けた動き」の解説

2011年平成23年3月11日東日本大震災により日本列島は広い範囲渡って地震揺れ津波によって大きな被害受けた同日来訪者避難誘導終えた管理人は、六角堂一部思しき物体が海に浮かんでいるのを目撃し3月13日には北茨城市災害対策本部六角堂滅失確認した茨城県天心記念美術館管理課長の津久井稔は「地域シンボル失った」とコメント出した管理者茨城大学当初文化財として復旧目指したが、原点に戻るため創建当時出窓や炉の付いた形にすることとなった4月18日茨城大学海底調査し流され六角堂建材回収して復元することを表明した4月28日付け茨城新聞報道によると、その時点で5月から六角堂流失物の海中捜索行い8月までに流失物の引き揚げ完了し残されている図面関係者の証言等から元の形を復元し遅くとも2011年度のうちに完成させる計画であった5月に、茨城大学は「岡倉天心記念六角堂復興基金」を創設六角堂再建のための寄付呼びかけた。6月6日には福島県いわき市潜水業者協力引き揚げ向けた下調べが行われ、六角堂跡地から約10メートル沖に瓦が沈んでいるのが確認された。その後も4回に及ぶ継続した捜索引き揚げが行われたが、明治時代宝珠水晶昭和時代に葺(ふ)き替えられた瓦は見つかったものの、木材は見つからず六角堂全体復元することは困難であることから、登録有形文化財としての再建断念新築することになった。そこで茨城大学7月文化庁文化財遺失届け出た登録有形文化財の登録は2012年2月7日抹消された。 2011年平成23年11月21日六角堂再建起工式六角堂跡地にて挙行された。式には茨城大学北茨城市茨城県教育委員会茨城県建築士会等から関係者20人が出席、この席で茨城大学学長池田幸雄は「東日本大震災からの復興象徴にしたい」と語った2012年平成24年1月21日から水戸市千波町にある「桜田門外ノ変オープンロケセット展示館」にて「天心六角堂復興パネル展」が始まったパネル展では、六角堂再建の際に寸法等の参考とするために日立市宮大工製作した実寸大の六角堂模型六角堂再建に関する解説パネル展示が行われ、松村克弥監督による記録映像天心六角堂復興プロジェクト』の前編20分)も公開されている。また、1月21日記者会見茨城大学は、当初の計画であった六角堂復興のみにとどまらず日本美術院研究所雪灯籠とうろう)も含めた再建を行うことで五浦全体復興寄与する方針であることを明らかにした。3月27日上棟式挙行した。

※この「震災と再建に向けた動き」の解説は、「六角堂 (北茨城市)」の解説の一部です。
「震災と再建に向けた動き」を含む「六角堂 (北茨城市)」の記事については、「六角堂 (北茨城市)」の概要を参照ください。

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