雪解けの始まり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 05:18 UTC 版)
2008年の大統領選挙でアメリカ合衆国大統領に当選したバラク・オバマはキューバとの国交正常化をマニフェストに掲げた。オバマは2009年4月にキューバ系アメリカ人によるキューバへの送金や渡航規制を撤廃する方針を打ち出すと同時に、関係閣僚に通信事業会社のキューバ進出を認めるよう指示した。さらに、同月にトリニダード・トバゴで開催された米州首脳会議(第5回米州首脳会議(英語版))の開会挨拶の中で、「キューバとの間で新たな始まりを追求する」と表明した。しかし、キューバへの経済制裁と干渉はその後も継続していた。2012年4月にコロンビアで開催された第6回米州首脳会議(英語版)は会議へのキューバの参加に反対するアメリカ合衆国と賛成するラテンアメリカ諸国の意見の対立などが原因で、共同声明が採択されないまま閉幕した。 2012年7月にキューバ国家評議会議長ラウル・カストロはアメリカ合衆国連邦政府との「あらゆることを議論する」話し合いに応じる意思があることを表明した。2013年12月に南アフリカ共和国で執り行われたネルソン・マンデラの追悼式でバラク・オバマはスピーチの前にラウル・カストロに握手を求め、両首脳は双方の歩み寄りを示唆する握手を交わした。 実はオバマがキューバとの「ハイレベルでの接触」に着手したのはネルソン・マンデラの死より半年以上も前、2013年春のことだった。カナダ政府はアメリカとキューバが秘密交渉を進めるための場所を提供しただけでなく、会談を進めるためにあらゆるサポートを行った。カナダでの両国の高官協議は2013年6月ごろからトロントやオタワで計7回程度行われた。ローマ教皇フランシスコも重要な役割を果たした。フランシスコはオバマとカストロに書簡を送り、捕虜の釈放など人道的な問題を解消するよう促した。2014年10月に両国の代表団を集めてバチカンで行われた詰めの交渉で、双方は合意に達した。 2014年12月17日にオバマは声明を発表し、キューバとの国交正常化交渉を始める方針を示した。キューバとの通商関係の見直しと、1961年に閉鎖された在キューバの大使館再開を目指すと発表した。キューバに対する禁輸措置は失敗したと認め、禁輸解除を検討するよう連邦議会に要請すると述べた。カストロもほぼ同時刻にハバナでスピーチを行い、かつて敵国だった両国が半世紀以上を経た後に「外交関係の再樹立に同意した」と発表した。オバマとカストロはこの前日に約1時間にわたり電話で会談していた。 キューバ系アメリカ人の若い世代でキューバに対するアメリカの政策を改めるべきとの考えが広まりつつあり、キューバには経済状況の悪化にくわえ、盟友だったベネズエラがウゴ・チャベスの死後に石油輸出を減少させているという苦しい事情があった。
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