開業初期
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開業前の1889年(明治22年)6月に名古屋電灯が作成した広告によると、当初の配電地域として指定されたのは名古屋市南長島町(現・栄二丁目)の発電所を起点に北は本町、東は栄町、西は堀川を渡った先(船入町・東柳町など)、南は大須方面の門前町・橘町までの範囲の計41町とある。同年12月15日に開業した際、配電線の延長は14キロメートル余りで、需要家数は241戸、電灯の点灯数は400灯余りであった。 開業時、電灯の点灯時間は日没から3時間であり、「3時間灯」と称した。翌1890年(明治23年)2月には日没から23時まで点灯する「5時間灯」を新設し、その後0時までの「半夜灯」、翌日2時までの「2時灯」と徐々に供給時間を拡大していき、同年4月から「終夜灯」を設定している。先に触れた開業前の広告によると、供給区分は10燭の白熱電球または500燭・1000燭・1200燭のアーク灯を取り付け点灯時間ごとに料金を徴収する「定時灯」、使用量を電力量計(メーター)で計測して従量料金を徴収する「不定時灯」、大口需要に前払いを認める「特約灯」の3種があり、その月額料金は10燭白熱電球による定額灯の場合半夜灯1円20銭・2時灯1円40銭・終夜灯1円80銭(いずれも器具は会社負担)であった。 開業1年後の1890年11月より、陸軍第三師団の市内各隊へ電灯供給を開始した。続いて官庁・銀行・会社などへ供給を開始すると、これが一般民家の需要も喚起して、同年末時点の白熱灯数は1,157灯と開業1年間で3倍近い規模となった。
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開業初期
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新北京駅の開業によって、以前の前門火車駅時代に比べ輸送力が大幅に向上し、北京市内ではもちろん、中国国内でも利用客の多い鉄道駅となった。利用客数は1950年代末期では毎年600万人、1960年代末期で800万人、1970年代末期で1500万人、改革開放後には年間3000万人以上に膨れ上がった。北京駅の逼迫を緩和するため、北京市政府と鉄道部は1980年代末期から第2の北京旅客駅の建設に着手し、1996年に北京西駅(西客駅)が完成した。京広線方面の旅客列車を北京西駅発着に変更することにより、北京站の年間利用客数は2000万人以下に抑えられることとなった。
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