志太電気
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 02:37 UTC 版)
志太電気株式会社は志太郡藤枝町(現・藤枝市)にあった会社で、町の有力者で酒造業を営む大塚甚之助が中心となって起業にあたり1910年(明治43年)4月27日に設立された。設立時の資本金8万5000円。自社発電所は建設せず、四日市製紙からの受電によって1912年(明治45年)5月12日に開業した。1917年の段階では300キロワットを受電し、藤枝町や焼津町(現・焼津市)など志太郡内の12町村を供給区域とする。 志太電気は開業初期から電灯料金が高い、供給区域内における不採算地域への配電に消極的であるといった批判があり、藤枝町や志太郡内町村による公営化が議論となったが、志太電気側では増資(1913年11月に8万5000円の増資を決議)や四日市製紙への合併を模索するなどの手段で公営化の議論に抵抗した。合併は1918年7月26日付で成立し志太電気は解散したが、その後も地元の反発は続き同年8月米騒動に際し会社が襲撃される事件まで起きた。
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