開戦と戦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 09:22 UTC 版)
その頃、トゥルヌスらはユーノーの助言でアイネイアースが留守の間のトロイアの陣営を襲うことにした。ラテン人はティベレ川に係留されているトロイアの船を燃やそうとしたが、船は神聖な木によって造られていたので沈没した船はニンフに変わった。その後、ラテン人がトロイア陣営を包囲する。夜になってトロイアの陣営ではエウリュアロスとニーソスの二人がアイネーイスの下に事態を知らせるべくトロイア陣営から包囲網を破って脱出しようとした。ラテン人の陣営に到着した二人だが、奮戦の末敗死する。その後、ラテン人はトロイアの陣営に総攻撃を仕掛ける。トロイアの塔に火災を起こさせ、トロイア軍との戦闘中にルトゥリ人とトゥルヌスは陣営の門に突入する。しかし、その時門が閉まってしまったので失敗し、トゥルヌスらルトゥリ人だけがトロイア陣営に取り残される。力が強いトゥルヌスだが、徐々に疲れで状況は厳しくなり、ティベレ川に飛び込んだが、助かった。 その頃、ユピテルがオリュンポスで神々の会議を招集した。ユピテルは神々にトロイア人とラテン人の戦争についてどうすればよいかを尋ね、ウェヌスとユーノーのそれぞれの主張を聞いて、戦争の結果を運命に委ねることにした。一方、アイネイアースらは暴君メゼンティウスを追い出したエトルリアのカエレ王であるタルコンが軍船30隻に多くの兵を乗せて応援に駆けつけた。その後、翌朝にトロイアの陣営に到着したアイネイアースらトロイア軍は岸に上陸し、とたんにラテン軍と戦闘状態になった。アイネイアースは多くの敵兵を殺し、パラスも奮戦し、メゼンティウスの子供、ラウススと戦っている際にトゥルヌスがパラスを倒しにやってきた。二人は戦い、トゥルヌスがパラスを槍で刺して殺した。それに対し激怒したアイネイアースは多くの兵を殺し、陣営にいたアスカニオスらは陣営からでてきた。一方のオリュンポスではユーノーがユピテルにトゥルヌスを死から救うように相談し、幻のアイネイアースをトゥルヌスの前に置き、その後、逃げる幻を追いかけて停泊している船に乗ったところ、ユーノーが船のロープを切ってトゥルヌスは漂流し、戦線離脱した。その頃、アイネイアースとメゼンティウスらが戦場で遭遇し、アイネイアースはメゼンティウスに重傷を負わせるが、ラウススの助けで一命を取り留める。しかし、そのラウススもアイネイアースに殺され、メゼンティウスも殺される。 その後、アイネイアースらはパラスの葬儀を行うことを決め、葬儀のためにラテン民族と12日間の休戦期間を設けた。その際に、アイネイアースはトゥルヌスとの一騎討ちを打診した。トロイア側は3日間で埋葬を済ませた。一方、ラテン側では葬儀の後、ディオメーデースからの参戦拒否の通知が陣営に届いた。厭戦気分も高まり、ラティヌスらが信託によってトロイア側の勝利は決まっているとしてこれ以上の戦闘をやめ、ラウィニアをアイネイアースに結婚させるように要請した。また、ドランケスもそれに賛成した。しかし、トゥルヌスは自分はトロイア人を一人で大量に殺したことや、同盟国も多いことから、戦争を継続することを決定した。一方、トロイア勢は平野部に進撃を始めた。それに対し、ラテン側は戦うことを決め、守りを固めた。そして、女戦士のカミラの一隊を、森でラテン側の兵が待ち伏せしている間にトロイア勢に正面から突撃するように命じた。一方、天上ではティーアナがオプスにカミラを殺した者に復讐をするようにさせ、その後、ラテン側の都市に攻め入ろうとするトロイア勢にカミラの一隊が戦いを仕掛ける。カミラは多くの敵兵を殺した。そして、エトルリアのアルンスという兵士がカミラを執拗に追い回し、槍でカミラを殺した。その後、オプスがアルンスを殺し、復讐を果たした。カミラの死後、混乱しているラテン軍は市内に押し込まれ、多くが殺された。その知らせを聞いたトゥルヌスは絶望した。
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