開戦と包囲陣地群の構築
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/08 07:09 UTC 版)
「ラ・ロシェル包囲戦」の記事における「開戦と包囲陣地群の構築」の解説
一方、国王軍はアングレーム公シャルル率いる兵7000、騎兵600、砲24門の兵力をもって1627年8月からラ・ロシェルの包囲を開始した。国王軍はボングレーヌ(現在のレ・ミニム)とルイ砦を増強する。 1627年9月10日、ラ・ロシェルからルイ砦に対する最初の一弾が放たれ、第三次ユグノーの反乱が始まった。ラ・ロシェルはユグノー側の最大の都市であり、抵抗の本拠地であった。包囲軍はリシュリュー枢機卿が総司令官となった。 戦闘状態に突入すると国王軍の工兵部隊は延長12kmに砦11箇所、堡塁18箇所による包囲線を構築して町を孤立させた。包囲陣地群は1628年4月に完成して、兵3000が配置された。 国王軍はまた工夫4000を使って長さ1400mの堤防を構築して、町と海上との交通を絶った。海路からラ・ロシェルへの補給を防ぐ目的のこの海峡封鎖作戦はイタリア人の技術者ポンペイウス・タラゴンの発案によるものであったが、この構築物は1627年11月に冬の悪天候のため破壊されてしまい、国王軍の建築家クレメント・メトゾーによって新たな堤防が建設され、第二の堤防は瓦礫を満載して沈めた船を基盤にして作られた。町へ補給をしようとするイギリス艦隊に対しては国王軍の砲兵隊が攻撃した。 ロアン公がラ・ロシェルを救うべく南フランスでの反乱を図るが失敗に終わっている。1628年2月までは何隻かの船が建設中の堤防を突破できたが、3月以降は不可能となってしまう。町は完全に封鎖され、イギリス艦隊が唯一の望みとなった。
※この「開戦と包囲陣地群の構築」の解説は、「ラ・ロシェル包囲戦」の解説の一部です。
「開戦と包囲陣地群の構築」を含む「ラ・ロシェル包囲戦」の記事については、「ラ・ロシェル包囲戦」の概要を参照ください。
- 開戦と包囲陣地群の構築のページへのリンク