開戦 - 1942年中旬とは? わかりやすく解説

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開戦 - 1942年中旬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 10:19 UTC 版)

ボイシ (軽巡洋艦)」の記事における「開戦 - 1942年中旬」の解説

1941年12月8日太平洋戦争勃発時、ボイシセブ島にあった日本軍比島作戦において航空撃滅戦を優先するアジア艦隊英語版)(司令長官トーマス・C・ハート提督)は潜水艦を除く大部分艦艇蘭印オーストラリア方面避退させた。マニラにいた第5任務部隊司令官のグラスフォード(英語版少将空路パナイ島南岸イロイロ移動し、そこで重巡ヒューストン (USS Houston, CA-30)に将旗掲げた。またセブにいたボイシ呼び戻されヒューストン合流するヒューストンボイシスールー海南下しマカッサル海峡向かったボイシ東インド諸島で第5任務部隊加わりアジア太平洋艦隊軽巡洋艦マーブルヘッド (USS Marblehead, CL-12) に合流する1942年1月11日日本軍蘭印作戦によりボルネオ島北東部タラカン島上陸し、翌12日守備隊降伏掃討作戦油田占領飛行場設営実施した連合軍日本軍次の目標を同島東岸バリクパパン予測し潜水艦部隊配置した。さらに1月20日、第5任務部隊司令官のグラスフォード少将出撃命じ、グラスフォード少将ボイシ将旗掲げた。第5任務部隊軽巡ボイシ軽巡マーブルヘッド、駆逐艦ジョン・D・フォード英語版)、ポープパロットポールジョーンズ)はティモール島クパン出撃する。この第5任務部隊が、現時点連合軍艦隊攻勢作戦使用できる精一杯勢力だった。目標バリクパパン沖に集結した日本輸送船団護衛部隊(指揮官西村祥治第四水雷戦隊司令官)である。しかし、ボイシ1月21日セプ海峡英語版)で海図記載暗礁衝突し、マーブルヘッドも機関不調後退して後退バリクパパン沖海戦には参加できなくなった。同海戦活躍したのは、軽巡2隻脱落後も進撃続けた駆逐艦4隻だった。 ボイシコロンボおよびボンベイ応急修理の後、メア・アイランド海軍造船所向かった修理完了する6月22日出航し船団護衛ニュージーランドオークランドに向かう。護衛任務終了後真珠湾帰投し、ガダルカナル島上陸に際して日本軍攪乱する目的7月31日から8月10日まで日本勢力圏内を巡航した8月にはフィジーおよびニューヘブリディーズ諸島への輸送船団護衛し9月14日から18日までガダルカナル島上陸する海兵隊支援行った

※この「開戦 - 1942年中旬」の解説は、「ボイシ (軽巡洋艦)」の解説の一部です。
「開戦 - 1942年中旬」を含む「ボイシ (軽巡洋艦)」の記事については、「ボイシ (軽巡洋艦)」の概要を参照ください。

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