開成所での勤務
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/14 07:24 UTC 版)
高橋由一と同時期、文久2年(1862年)頃から開成所に学んだと推測される。元治元年(1864年)2月に出された老中への願書には、物産や写真の需要が増え今の人員では手が回らないので、西洋画に格別の腕前で熱心に勤務する画学世話心得・仰山と由一の2人を、画学並出仕に昇進させて欲しい、と記されている。この申請は老中から却下されたが、慶応2年(1866年)6月の時点で仰山は画学局設置の母体となった絵図調方で、教導職である絵図調出役になっている。翌年8月、歩兵差図役並勤方へ移動となり、その後任に島霞谷が任命されている。
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