長谷川信とは? わかりやすく解説

長谷川信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/16 06:59 UTC 版)

長谷川 信
はせがわ しん
生年月日 1918年12月4日
出生地 新潟県長岡市
没年月日 (1990-10-28) 1990年10月28日(71歳没)
死没地 東京都港区虎ノ門 虎の門病院
出身校 旧制第一早稲田高等学院中退
前職 新潟県議会議員
所属政党 自由民主党
称号 従三位
勲一等瑞宝章
親族 長男・長谷川道郎

第51代 法務大臣
内閣 第2次海部内閣
在任期間 1990年2月28日 - 1990年9月13日

選挙区 新潟県選挙区
当選回数 3回
在任期間 1977年5月 - 1990年10月28日
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長谷川 信(はせがわ しん、1918年12月4日 - 1990年10月28日)は、日本政治家参議院議員(3期)。位階従三位勲等は勲一等。

人物・来歴

新潟県長岡市で生まれ育つ。旧制新潟県立長岡中学校(現新潟県立長岡高等学校)卒業後、旧制第一早稲田高等学院(現在の早稲田大学の教養課程)入学している。その後は、父の死去に伴い旧制早稲田高等学院を中退し、17歳で長谷川酒造社長に就任する[1]

その後、戦時中は1942年5月、南西方面艦隊海軍民政府に志願し、インドネシアセレベス島マカッサルに勤務したとされている。1944年12月、帰国した[1]

終戦後、青年団活動を経て、上組村議、宮内町議、長岡市議を2期、新潟県議会議員を4期を務めあげた[1]

1977年5月の亘四郎死去に伴う第10回参議院議員通常選挙新潟県選挙区補欠選挙に自民党公認で出馬し初当選した。党内では田中派に所属した[2]1979年第2次大平内閣郵政政務次官に就任。

1987年7月、経世会が結成され、田中派が竹下派、二階堂グループ、中立系に3分裂した際は、竹下、二階堂どちらにも与せず、中立系無派閥となった[3]

1990年2月、第2次海部内閣法務大臣として初入閣。同年9月3日、法務大臣として天皇明仁内奏(内政報告)をした後、皇居内で倒れた[1]。9月13日、呼吸器の病気により閣議を欠席していた北海道開発庁長官兼沖縄開発庁長官砂田重民とともに脳卒中により辞任。同年10月28日、参議院議員在職中に、急性心不全のため東京都港区虎の門病院において死去[1]。71歳没。死没日をもって勲一等瑞宝章追贈、従三位に叙される[4]

エピソード

大下英治の著書で[要文献特定詳細情報]1987年自民党総裁選挙竹下登田中角栄邸に挨拶するかしないかで悩んでいたところ、竹下の後見人である金丸信が「田中の信頼厚い長谷川なら、同郷のよしみで田中邸にフリーパスで行ける」と発言し、竹下が田中の代理人である長谷川を介して田中に出馬の挨拶をしたという。

家族

脚注

  1. ^ a b c d e 第119回国会 参議院 本会議 第5号 平成2年11月2日”. 国会会議録検索システム. 2020年9月6日閲覧。
  2. ^ 『国会便覧 昭和62年2月新版』(第75版)日本政経新聞社、1987年2月28日、334-337頁。 
  3. ^ 『国会便覧 昭和62年8月新版』(第76版)日本政経新聞社、1987年9月1日、333-336頁。 
  4. ^ 『官報』第502号10頁 平成2年11月7日号
  5. ^ 東京佐川急便事件新潟ルート二億円に関する質問主意書
公職
先代
後藤正夫
法務大臣
第51代:1990年
次代
梶山静六
議会
先代
堀内俊夫
参議院文教委員長
1983年 - 1984年
次代
真鍋賢二
党職
先代
佐藤隆
自由民主党新潟県連会長
1986年 - 1988年
次代
渡辺秀央




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