鈴木道彦
鈴木道彦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/24 04:16 UTC 版)
人物情報 | |
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生誕 | 1929年4月26日![]() |
死没 | 2024年11月11日(95歳没) |
出身校 | 東京大学 |
学問 | |
研究分野 | 文学(フランス文学) |
研究機関 | 一橋大学・獨協大学 |
鈴木 道彦(すずき みちひこ、1929年4月26日 - 2024年11月11日)は、日本のフランス文学者。獨協大学名誉教授[1]。金嬉老「特別弁護団」のひとり。鈴木信太郎 (フランス文学者)の子。
経歴
- 出生から修学期
1929年、フランス文学者の鈴木信太郎の子として東京で生まれた。東京大学文学部仏文科で学び、1953年に卒業[2]。同大学大学院へ進学。
- フランス文学研究者として
卒業後は、一橋大学助教授となり、後に教授昇格[1]。その後獨協大学教授[1]。プルースト『失われた時を求めて』の完訳に取り組み、1992年に抄訳を刊行したところ評判を呼んだ。後に完訳版は1996年から2001年にかけて集英社より刊行した。完訳としては、井上究一郎に続く2人目の個人完訳であった。
2024年11月11日、慢性心不全のため死去[3]。95歳没。
受賞・栄典
- 2002年:読売文学賞を受賞。『失われた時を求めて』(集英社)完訳に対して[4]、日本翻訳文化賞受賞[1]。
- 2022年:日本翻訳出版文化賞を共同受賞。海老坂武ほかとのジャン=ポール・サルトル著『家の馬鹿息子 ギュスターヴ・フローベール論』(全5巻)翻訳に対して。
研究内容・業績
専門はフランス文学。若い頃はサルトルに傾倒し、市民の政治参加に関する評論を多く書いていた。プルースト『失われた時を求めて』ほか多数の作品の翻訳を手掛けた。
金嬉老事件について
1968年、金嬉老事件が起こると、銀座東急ホテルで「金さんへ」という呼びかけで始まる文書をとりまとめて、後日文化人・弁護士5人がその文書を吹き込んだテープを持って、金嬉老を訪ね会見した。
家族・親族
著作
著書
共著・編著
- 『サルトルの全体像:日本におけるサルトル論の展開』竹内芳郎共編、ぺりかん社, 1966
- 『脱走兵の思想:国家と軍隊への反逆』小田実・鶴見俊輔共編著、太平出版社 1969
- 『サルトルとその時代』海老坂武・浦野衣子共編著、人文書院 1971
- 『新初等フランス語文法』恒川邦夫共著、朝日出版社 1982
訳書
- ジャン・ミュレール『太陽の影:アルジェリア出征兵士の手記』二宮敬・小林善彦共訳、青木書店, 1958
- ジュール・ロワ『アルジェリア戦争:私は証言する』岩波新書, 1961
- 『プルースト』(世界の文学 32) 中央公論社 1966
- フランツ・ファノン『地に呪われたる者』「ファノン著作集」浦野衣子共訳、みすず書房 1969
- 選書化 みすず書房(みすずライブラリー) 1996
- 新装版 みすず書房 2015
- サルトル『シチュアシオン』分担訳「全集 9-11,22,30-32,36-38」人文書院 1962-
- 『反逆は正しい:自由についての討論』サルトル,フィリップ・ガヴィ,ピエール・ヴィクトール/海老坂武共訳、人文書院, 1975
- 『プルースト文芸評論』筑摩叢書, 1977
- ジャン=ポール・サルトル『家の馬鹿息子:ギュスターヴ・フローベール論』(全5巻) 、人文書院 1982-2021
- 『ジャン・サントゥイユ プルースト全集 11・12』 保苅瑞穂と共訳、筑摩書房 1985
- プルースト『抄訳版 失われた時を求めて』集英社 全2巻 1992
- 改訂・集英社文庫 全3巻 2002
- 『失われた時を求めて』全13巻、集英社 1996-2001
- 集英社文庫 2006-2007、再版 2017
- マルト・スガン=フォント編・画『プルーストの花園』集英社 1998
- サルトル『植民地の問題』人文書院 2000
- サルトル『哲学・言語論集』人文書院 2001
- サルトル『嘔吐』人文書院 2010
脚注
鈴木 道彦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/17 06:48 UTC 版)
1819年10月24日(文政2年9月6日))は、江戸時代後期の俳人である。名は由之。別号に金令、十時庵、藤垣庵等がある。
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