鈴木道彦 (俳人)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/17 06:48 UTC 版)
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鈴木 道彦(すずき みちひこ、1757年(宝暦7年)- 1819年10月24日(文政2年9月6日))は、江戸時代後期の俳人である。名は由之。別号に金令、十時庵、藤垣庵等がある。
経歴・人物
陸奥の仙台生まれ。江戸に入り、初めは家業として仙台藩の医師を務めた。若くして俳諧を学び、当時東北を行脚していた加舎白雄の門人の一人となる。師匠の死後、後継の失敗を克服して政治的な手腕でその座を継いだ。同時期に妻である応々尼も俳諧を学ぶ。
後に俳諧と医師を両立し、建部巣兆や夏目成美、井上士朗らと親交を持ち、化政期における歌壇の一人となった。また、道彦の作風は、趣向を重視したものであり、与謝蕪村等の天明期の代表的な俳人を批判、酷評するといった事でも有名となった。しかし、晩年には白川芝山が著した著書により、その作風は逆に批判された。
主な著作物
主著
その他の著書
- 『鳶眼集』
- 『鶴芝』
※主著は『道彦七部集』(没後の1830年(文政13年)に刊行。妻が編纂)に収録されている。
関連書籍
脚注
出典
- 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞出版)『鈴木道彦』- コトバンク
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典(ブリタニカ・ジャパン)『鈴木道彦』- コトバンク
- 精選版 日本国語大辞典『道彦』- コトバンク
- デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『鈴木道彦(1)』- コトバンク
外部リンク
- 鈴木道彦_(俳人)のページへのリンク