金融当局との軋轢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 00:54 UTC 版)
「清水義之 (実業家)」の記事における「金融当局との軋轢」の解説
1999年6月の十六銀行役員改選にて、日銀(京大経卒・日銀静岡支店長、同考査役を経て1983年6月入行、同年常務、1987年6月専務)及び大蔵省(名大院修・大蔵省関東財務局管財第一部長を経て十六リース専務。1988年6月常務東京支店長、1995年6月専務、ちなみに清水とは大学の同級生である)出身専務が退任する。 表向きは“取締役の定年を65歳とする内規を越えた”ことが理由とされた。また日銀・大蔵省より後任を受け入れなかったことで、過去50年間にして初めて”天下り”役員がゼロとなった。しかし、日銀出身専務は、”健康上の問題を抱える清水の代理として内外の公式行事や記者会見に出席するなど十六銀行の「顔」的な存在だった”為、その退任は意外感を持って受け止められた。この人事は、十六に入り十六で育った行員のみ役員とする方針”との評価の反面、“「(清水頭取の)体制固め」と見る関係者も多い。”とも報じられる。 2000年1月、岐阜商工会議所の年頭総会では「6月1日の議員総会で議員の方々の推挙を頂ければ微力ではあるが引き続き全力を尽くしたい」と語り、商議所会頭の続投を表明、これは暗に十六銀行頭取職を引き続きになっていくとの表明であった。 しかし、同年5月、金融監督庁(当時)に委託された東海財務局定期検査の折、不良債権の査定などを巡り当局と銀行側の意見対立が生じたのに加え、「経営トップからのヒアリングも専務が対応し、頭取の考えを直接聞けなかった。頭取が自ら投資家や顧客に説明すべき時代に、経営者の顔が見えないのは困る」との指摘を受ける。 結局、同年6月、頭取職を退き代表権のある会長に就任、株主総会わずか2日前のトップ交代内定であった。頭取退任理由は、『財界活動に専念』が名目であったが、前年の“天下り役員”放逐が、結果として金融当局との軋轢を生じさせ、頭取退任の遠因になったと言われる。事実、”今回の検査で監督庁が十六銀のリスク管理体制の問題を指摘したうえで、清水氏にそれとなく退任を勧めたのでは(地元金融関係者)”とも報道されている。決算取締役会・株主総会では頭取交代には触れず、記者会見でも出席したのは後任指名を受けた小島伸夫だけであった。 一部上場企業における代表者の新旧交代の記者会見は両者が揃って出席するのが一般的である中、記者会見の席上で「何故、清水新会長が出席しないのか?」との皮肉(記者たちは当然、清水の欠席理由が健康問題なのを知っている)が出るのは当然であった。小島は、「本来は会長が会見に出てくるべきだろうが、都合がつかないのでやむを得ない」や「批判は謙虚に受け止め、変えていくべき部分は変え、県内トップの地位を充実、発展させたい」と答えるしかなく、後日の新聞紙上では“十六銀、突然のトップ交代、「ワンマンのひずみ」を露呈?-外部からの目厳しく”や、”十六銀は経営者の顔見えない”と酷評された。
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