都市交通審議会答申第10号
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「東京メトロ有楽町線」の記事における「都市交通審議会答申第10号」の解説
1968年(昭和43年)4月10日に答申された都市交通審議会答申第10号では、第8号線は「成増及び練馬の各方面より向原及び池袋の各方面を経由し、また、中村橋方面より目白方面を経由し、護国寺、飯田橋、市ケ谷、永田町、有楽町及び銀座の各方面を経て明石町方面に至る路線」に変更され、「なお、本路線中 中村橋 - 護国寺間については、輸送需要、宅地の開発等を考慮し、将来中村橋及び護国寺からの路線の延伸等を検討することとする」とされた。 この答申に基づいて、同年12月28日に告示された建設省告示第3731号では、第4号線(丸ノ内線)の一部であった成増 - 池袋間が第8号線に編入され、中村橋 - 錦糸町間であった第8号線は「練馬 - 銀座間の本線(16.5 km)、成増 - 小竹町間(6.3 km)及び中村橋 - 音羽間(9.1 km)の分岐線」へ都市計画路線が大幅に改訂された。 この変更を受け、営団地下鉄は1968年(昭和43年)6月6日、第8号線向原 - 成増町間及び西池袋 - 明石町間の地方鉄道敷設免許を申請し、併せて第4号線(丸ノ内線)として免許を所有していた池袋 - 向原間の起業目論見変更認可を申請した。続いて、同年7月22日 上鷺宮 - 音羽間(中村橋 - 護国寺)の地方鉄道敷設免許を申請するとともに、申請中であった谷原町 - 江東橋間の免許取り下げ願を提出した。6月6日の免許申請、起業目論見変更申請は、同年10月30日に交付・認可を取得し、免許取り下げは8月13日に受理された。1973年(昭和48年)10月23日に、上鷺宮 - 音羽間(中村橋 - 護国寺)の路線免許申請は、取り下げている。 第8号線(有楽町線)の路線免許を申請した時点では、池袋 ⁻ 明石町(現・新富町)間は1973年(昭和48年)3月開業予定、成増(現・地下鉄成増) - 池袋間は1974年(昭和49年)3月の開業を予定していた。第8号線(有楽町線)のうち、練馬 - 向原(現・小竹向原)間は西武鉄道が建設し、営団地下鉄有楽町線と西武池袋線と相互直通運転を行うことを予定していた。 1968年(昭和43年)9月5日に営団地下鉄と西武鉄道間で相互直通運転に関する覚書を取り交わしており、営団地下鉄有楽町線と西武池袋線間の相互直通運転開始時期は1973年(昭和48年)を目途にするとされていた。実際には、西武池袋線と営団地下鉄有楽町線の本格的な相互直通運転が開始されるのは、それから25年経った1998年(平成10年)である。 営団地下鉄は路線免許取得後、建設工事に向けて手続きを進めていたが、特に練馬区北町(地下鉄赤塚 - 平和台付近)で用地取得が難航したことや平和台 - 要町間の地上を通る放射第36号道路との調整があり、建設工事の着手は遅れた(後述)。 有楽町線が最初に計画された1968年(昭和43年)時点では車両基地は成増付近に計画されていたが、既に周辺は住宅地として開発されており、用地取得の難航が予想されたため、和光市駅 - 朝霞駅間に位置した土地を取得して、和光市付近に車両基地(現在の和光検車区)を設けることとなった。また、和光検車区 - 営団成増間は車庫線(回送線)として計画していたが、沿線住民などから営業線とするよう強い要望があった。
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