遵法の徹底
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/30 09:26 UTC 版)
新たな税の徴収を徹底するにあたり、1767年の関税委員会法に基づき、イギリス関税局を範とするアメリカ関税局委員会が設立された。イギリス関税局は、遠く離れた植民地に貿易統制を施行することのむずかしさに直面していたからである。5人の評議委員が任命され、ボストンに拠点を置くことになった。関税局は、植民地のイギリス政府に対する敵意を相当に生み出したとされる。歴史研究者のオリヴァー・M・ディッカースンによれば、「帝国領土における植民地内外の実質的な乖離は、この独立機関が創設されたその日に始まった」。 また、前出の1767年の歳入法は、関税の施行の他に、援助令状という捜査範囲を特定せずに発行される一般令状の適法性を改めて是認しており、税関職員はこれを原権として、密貿易にかかわっている家屋や事業者に対する強制捜査を行うことができた。 さらに、貿易にまつわる諸法令を徹底するために定められたもうひとつの方策として1768年の副海事裁判法がある。タウンゼンド諸法に含めて論じられることが多いが、この法律はタウンゼンドの入閣前に策定が始まり、生前の成立を見なかった。副海事裁判法の以前は、北米の副海事裁判所はハリファックスにのみ置かれていた。1764年に設立されたこの裁判所は、広域にわたる植民地すべてを所轄するのをもてあましていたため、1768年の副海事裁判法の施行によって、ハリファックス、ボストン、フィラデルフィア、チャールストンの4都市に分立された。副海事裁判所の目的のひとつは、密貿易を取り締まる税関職員を支援することだった。副海事裁判は陪審員を置かないため、植民地に不評な貿易条例に反した人々を寛恕したがる陪審員の意向を避けることができたからである。 またタウンゼンドは、1765年の宿営法による財政負担を憲法に反する徴税とし、同法に応じることを拒んでいたニューヨーク邦議会に関する問題にも対策を打った。ニューヨーク制限法という、歴史研究者のロバート・チャフィンによれば「正式にタウンゼンド諸法の一部である」この法律は、宿営法に応じない限り植民地議会の権限を停止するというものである。結局、この法律が本国議会を通過する前にニューヨーク邦議会は宿営法の費用を購う資金を供出したため、実際に適用されることはなかった。ただし植民地議会は、資金供出にあたり宿営法へは言及しておらず、つまり本国議会の植民地に対する課税権の是認を回避した。むしろ、選挙によって選ばれた立法府を本国議会が停止するのは憲法に則った行為ではありえないという決議声明を採択した。
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