過去の大流行の可能性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 09:10 UTC 版)
「ヒトコロナウイルスOC43」の記事における「過去の大流行の可能性」の解説
ヒトコロナウイルスOC43は、1889年から1895年にかけて、世界で100万人が死亡したインフルエンザ「ロシアかぜ」の大流行との関連が指摘されている。この流行の原因となったインフルエンザウイルスは特定されていないが、これまでH3N8型インフルエンザウイルスなどが原因として挙げられていた。一方、ベルギーにあるルーヴェン大学の研究者らは、多くの患者で顕著な中枢神経系の疾患が見られたことや、塩基配列の変異速度を考慮したウイルスの出現時期の考察によって、この流行はインフルエンザウイルスが原因ではなく、実際にはヒトコロナウイルスOC43を原因とする可能性があると2005年に報告した。同様に、デンマーク工科大学とロスキレ大学の研究者らも、症状の比較や塩基配列の変異速度の検討を通じ、ヒトコロナウイルスOC43がロシア風邪の原因であるとの結論に達したと2020年8月に報道された。前者の研究では、ヒトコロナウイルスOC43の変異速度から逆算することによってウイルスのスピルオーバーが発生した時期を求めており、1890年前後にウシコロナウイルスから、ヒトコロナウイルスOC43が出現したと結論付けている。また、この大流行にやや先行してウシ呼吸器疾患が世界的に流行し、大規模に殺処分が行われていたことも指摘している。 当時の医学者の中にも、フランスのピエール・ポテン(fr)の様に、この流行はインフルエンザではないと考える者もいた。これは、インフルエンザではあまり見られない脾腫に加えて、神経疾患(例えば顔面神経痛、多様な痛み、頻脈と徐脈を頻繁に繰り返す迷走神経障害、球麻痺、末梢神経と脊髄の障害、深刻で長く続く無力症など)がインフルエンザにしては異常に高い頻度で見られたためである。 この大流行は、1889年の5月にロシア帝国のブハラ(ウズベキスタン)で最初に発生が確認された後、僅か4ヶ月で北半球全域に拡大するなど、非常に速い速度で全世界に伝播した。12月にはサンクトペテルブルクで死者数がピークに達し、翌1890年1月にはアメリカでピークに達した。マルタで報告された致死率は、1回目が4%、1892年からの2回目の流行が3.3%であった。致死率は子供で低く、70歳以上の高齢者で高かった。1895年まで続いた流行の中で、人類は部分的な免疫を獲得、このウイルスは致死的なものではなくなったとも言われている。なお、同じコロナウイルスである、ヒトコロナウイルス229Eを使用した人体実験では、抗体レベルは早期に低下し2度目の感染を防ぐことはできないものの、再感染例では症状が大幅に低下するという報告がある。
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