過去の大規模改良とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 過去の大規模改良の意味・解説 

過去の大規模改良

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 08:52 UTC 版)

鶴橋駅」の記事における「過去の大規模改良」の解説

鶴橋駅は、1951昭和26)年には1日平均乗降人員12万人超えていた。上本町駅布施駅間が複々線化される前の鶴橋駅2面3線構造で、下り布施方面ホームは1線、上り上本町方面ホームは2線だった。ラッシュ時には、1線しかない下り線ホーム国鉄城東線(現:JR大阪環状線)駅との連絡部分が特に混雑していた。1956(昭和31)年12月8日複々線化完成後は、旧下りホーム使用されなくなった。現1番線には、線路挟んで向かい側北側)に使用されていないホーム跡があり、これが旧ホームである。旧上りホームは、現在の1・2番ホームであり、その南側現在の3・4番線ホーム建設された。国鉄ホーム連絡する跨線橋は、以前東側(現:環状線外回りホーム接続)のみだったが、西側(現:環状線内回りホーム接続)にも建設された。跨線橋改良工事は、1955(昭和30)年11月15日完了した1967昭和42年ごろには1日35万人、朝ラッシュ時には1時間7万人増加したこのため国鉄近鉄は、鶴橋駅連絡設備抜本的に改良することになった近鉄大阪線奈良線ホームは、上本町寄り50メートル延伸有効長8両分とし、大阪線現在の3・4番線ホーム最大18.5メートル拡幅国鉄ホームとの間は6カ所の階段結んだ国鉄側も近鉄線路上越えて天王寺寄りホーム延伸し、コンコース面積は約5倍の3千平メートルとした。1967年10月1日着工し1970昭和45)年3月26日に全工事完成した以前は、上本町駅布施駅間の複々線区間は、北側2線が奈良線南側2線が大阪線だった。鶴橋駅では、1・2番線が奈良線3・4番線大阪線使用していた。布施駅高架化工事完成で、同区間現在の方向別に改められた。これにより、鶴橋駅では同一ホームで両線相互乗り換えができるようになった線路方向別化工事は、1975昭和50)年9月1314日深夜実施された。

※この「過去の大規模改良」の解説は、「鶴橋駅」の解説の一部です。
「過去の大規模改良」を含む「鶴橋駅」の記事については、「鶴橋駅」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「過去の大規模改良」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「過去の大規模改良」の関連用語

1
2% |||||

過去の大規模改良のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



過去の大規模改良のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの鶴橋駅 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS