遊郭の時代とは? わかりやすく解説

遊郭の時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/16 08:52 UTC 版)

延命新地」の記事における「遊郭の時代」の解説

遊郭起源について不明であるが、八日市市場町であること、古くから交通の要衝であったことから、近代以前であると考えられている。当初は、市場に近い市神神社現在の八日市本町15番4号付近に5軒程度がみられたのみであったという。旧御代参街道がその中心南北縦断し、同地がまだ神崎郡浜野であった時代1868年明治元年)、料亭招福」(現在の八日市本町8番11号)が、延命新地の旧御代参街道沿いに創業している。当時はまだ八日市駅開業しておらず、新地は、延命山の東側のふもとの地であると認識されていた。 1885年明治18年6月滋賀県定めた貸座敷娼妓営業取締規則」に「八日市ノ内字新地浜野ノ内字寺ノ前」に貸座敷営業許可し、「下等免許地」であるとした。これは、1889年明治22年4月1日町村制敷かれる以前八日市から浜野へとまたがる地域に、公式に貸座敷娼妓営業許可されたことを示している。町制施行され八日市町となった後の同年11月5日改正された同規則によれば大字八日市新地大字浜野寺ノ前のこの延命新地のほか、滋賀郡大津町上馬場町、同町字下馬場町、同町字甚七町、同町大字神出真町ほか、坂田郡長浜町大字片町蒲生郡八幡町池田町ほか、犬上郡彦根町袋町合計8か所が指定許可されていた。八日市駅開業したのは、1898年明治31年7月24日であり、同年には貸座敷30軒を数え1910年代大正初年には貸座敷31軒、芸妓46になっており、同県内でも大津彦根に次ぐ存在発展していた。このころには新地角力常設館歳館がつくられているが、これは映画館バンザイ館(のちの八日市昭和映劇大字浜野564番地)として、1928年昭和3年6月18日改め開館している。1915年大正4年4月延命新地貸座敷娼妓業者が「遊廓経営延命山下公園一帯設備一切」を八日市町寄付しており、同月14日には設備一切が町になっている。「延命山下公園一帯」とは延命公園とその一帯、つまりこの延命新地を指す。 1929年昭和4年)に発行された『日本遊里史』によれば当時延命新地は、所在地神崎郡八日市町大字浜野であり、貸座敷35軒、娼妓30人であった。この時代には、カフェー文化が花開き延命新地にも「弁天カフェー」が存在した新地最盛期は、1938年昭和13年8月31日編成され飛行第3戦隊が、大字沖野ヶ原 (現在の東近江市沖野)の八日市飛行場にあった時代である。朝から営業していた遊郭新地だけとされ、「午前中兵隊午後下士官、夜は将校憲兵」という暗黙のルールまであり、当時県内トップ売上高達していたという。鉄道の発達したがい、隣の蒲生郡愛知郡からも客が押し寄せた

※この「遊郭の時代」の解説は、「延命新地」の解説の一部です。
「遊郭の時代」を含む「延命新地」の記事については、「延命新地」の概要を参照ください。

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