遊里ヶ池
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 02:56 UTC 版)
大正初めまで田畑しかなかった中村遊廓建設用地を整備するためにたくさんの土砂を掘ったので、遊廓西隣に遊里ヶ池が生まれた。夏はボート・魚釣り等で賑わい、中村周辺に住む人たちの憩いの場所であった。初期の遊郭名物であった花火大会の仕掛け花火はこの池畔で行なわれた。池の中心には、南からのびる半島が設けられ、その半島には弁天寺が造られた。当時遊里ヶ池では娼妓による投身自殺、病死した遊女で身寄りの無いものの死体遺棄が絶えず、自殺した娼妓や遺棄された遊女の霊を慰め、かつ自殺防止のため、女性の幸福を守る守護神として、琵琶湖の竹生島から七福神で唯一の女神である弁財天を迎えての建立であった。弁天寺には弁財天の他、大日如来、不動明王、稲荷神、地蔵菩薩などの神仏が祀られていた。当時の地形図上では神社として記されている。 遊里ヶ池は名古屋の名所の一つに数えられるようになったが、1935年(昭和10年)ころこの池は埋め立てられた。その跡地に1937年(昭和12年)名古屋第一赤十字病院(通称、中村日赤。開設当初は日本赤十字社愛知県支部名古屋病院と称した。)が建てられた。 その後弁天寺は中村区藤江町に移転し、病院内に弁財天の分身を残すことになったが、この分身も病院の建て替えに伴い、2006年(平成18年)から弁天寺に一時預かりになっている。この分身は2009年(平成21年)11月頃に病院西棟北西角の新しい弁天堂へ戻ってくる予定である。
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