遊郭での童貞喪失
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 15:00 UTC 版)
『ある心の風景』発表から遡ること約5年前、京都の第三高等学校理科甲類(英語必修)の学生だった20歳の基次郎は、1921年(大正10年)10月16日の夜、同校文科の友人の中谷孝雄、津守萬夫と一緒に琵琶湖疎水でボートに乗り、水際の路に上がって月見をした。その際ボートが下流の方に押し流され、基次郎と津守が泳いで食い止めたのをきっかけに競泳をし、すっかり冷えてしまった身体を温めに京都の街の酒場に3人で繰り出した。 泥酔した基次郎は、「俺に童貞を捨てさせろ」と怒鳴り出し、祇園の八坂神社前の電車道で大の字に寝て動こうとしなくなったため、すでに花街通いを経験していた中谷と津守は基次郎を近くの祇園乙部の遊郭に連れて行った。女が来ると基次郎はいくらか故意かのようにげろを吐いて女を手こずらせたが、やがておとなしく部屋に入っていった。翌朝の勘定の時に金が足らず、基次郎はウォルサムの銀時計を質屋に入れた。 基次郎は翌日の日記に、〈昨日は酒をのんだ、そしてソドムの徒となつた。あの寝る時の浅ましい姿〉と綴り、中谷孝雄にも、「純粋なものが分らなくなった」「堕落した」と時々漏らすようになった。それまで女性を知らなかった基次郎は、中谷が恋人の平林英子を友人(従妹)だと紹介したのもそのまま信じきって、事実を知った時に「瞞ましやがったんや」と怒ったほど純真なところがあった。 その頃、電車通学をしていた基次郎は、いつも乗り合わせていた同校の大宅壮一に、「きみ、女って実につまらんもんだね」と切り出し、大宅が「何がつまらんのか」と質問すると、「ゆうべ俺は女郎買いに行ったんだ。あんなつまらんものはない」と話した。その言葉に文科の大宅は心の中で、「理科にしては変わった奴だ」と思ったという。
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