速球の再現
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 21:13 UTC 版)
1990年1月28日放送の『知ってるつもり?!』では、実際に沢村の投球を見たことのある生前の千葉茂と青田昇が、ピッチングマシンを相手にバッターボックスに立って沢村の球はどれくらいのものであったかを思い出してもらうというものがあったが、最終的に千葉が「これぐらいだった」と感覚で思い出した時のマシーンの速度は165キロであった。もっとも、彼らが沢村と公式戦をプレーしたのは1940年(千葉)と1943年(青田)が最初であり、この頃にはすでに沢村は全盛期を過ぎてチームの平均防御率よりも悪い成績であった。特に青田が沢村と初めてプレーした1943年に至っては、沢村の現役最終年であり、しかも沢村はアンダースローとなっており、出場14試合に対して登板4試合と、野手としての出場の方が多かった。 1999年放送の番組『勇者のスタジアム・プロ野球好珍プレー』の企画では「映像から球速を測定する」として、中京大学教授の湯浅景元の協力で、沢村の球速が159.4キロと再現された。もっとも、この再現時、沢村の映像はキャッチボール時のものしか残っておらず、「プロ野球選手がキャッチボールでは全力の何パーセントの力で投げるかの平均値」と、「足を高く上げている沢村の投球フォーム(写真。試合中のものではない)から導いた結果」である。また湯浅教授は、別媒体でも同様に、プロの投手が軽く投げる際は全力の何%ぐらいで投げているかという傾向から、160.4キロと言っている(2014年5月時点)。 これに対して、永田陽一は著述の資料として当時の野球雑誌を調べていて発見したとして、「沢村の快速球のスピードはどのくらいのものだったのか。プロ野球リーグが始まって2年目、1937年の雑誌は秒速37メートル(時速133キロ)と発表している。科学的計測値とするが、どれくらいの精度かは不明である。」と著述している。 その後、2015年6月11日放送の『クローズアップ現代』において、沢村の試合中の映像が見つかったことが判明したとして特集が組まれた。そこでは写真と違って実際の試合では足をほとんど上げない投球フォームであったことが判明した。そしてBSスポーツ酒場“語り亭”で前出の湯浅景元教授が実際の投球映像を元に速度を計算、「150キロ台から後半は出ていただろう」(計算上は159キロ)と算出された。
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