速球投手期~大リーグボール1号完成へ
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「星飛雄馬」の記事における「速球投手期~大リーグボール1号完成へ」の解説
1967年は2軍で過ごす(シーズン終了間際にイースタンリーグ・対東映戦にて一安打完封でプロ初勝利を記録。しかし、この試合でのスコアが、左門に飛雄馬の欠点を確信させることになる)が、1968年には台湾キャンプに選抜、紅白戦でも好投し、そのまま1軍にとどまる。後楽園球場の対阪神戦でオープン戦に登板し、宿敵・花形とプロの試合で初対決。軽い球質の欠点に気づいていた花形からあわや本塁打という一撃を食らうが、ライト・国松彰の身体を張った超ファインプレーで救われる。以後しばらくの間は幼い頃から培った絶妙のボールコントロールと速球を生かし相応の成績を重ね、開幕試合の対大洋戦ではベンチ入りを果たし、宿願の巨人投手として公式戦初登板を果たす。 しかし、プロ野球選手としては小柄な体格の彼は“球質が軽い”という致命的な欠点を徐々にライバル達に見抜かれていた。1968年の巨人x大洋開幕戦、開幕投手・金田正一が打ち込まれ序盤に大量リードを許すも、徐々に巨人が反撃し追い上げムードの終盤、左の代打・アグリー向けのワンポイントリリーフで登板した飛雄馬へ、大洋ベンチは刺客として“代打の代打”・左門豊作を送る。未だ自分の投球能力を信じたい飛雄馬は巨人ベンチの敬遠指示を無視して真っ向勝負。結果、すでに飛雄馬の弱点を完全に見切っていた左門は星へ痛恨のだめ押し3ランを見舞う。そのまま巨人を敗戦に追い込んだ形になった飛雄馬は自責の念と自分がプロで通用しなくなった絶望に囚われ、球場からユニフォームを着たまま失踪。一時は完全に虚脱状態になっていたが、隠遁先の鎌倉での参禅、僧侶との講話からヒントを得、奇妙奇天烈な特訓を経て遂に“魔球”大リーグボール1号を編み出し、奇跡の復活を遂げた。
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