近衛内閣の総辞職と東條内閣の成立とは? わかりやすく解説

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近衛内閣の総辞職と東條内閣の成立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 13:58 UTC 版)

日米交渉」の記事における「近衛内閣の総辞職と東條内閣の成立」の解説

10月14日夜、閣議での東條陸相発言により、近衛首相総辞職決意した近衛鈴木企画院総裁を介して総辞職後政局収拾について東條考え聞くと、東條東久邇宮稔彦王後継内閣首相に推薦した。 『近衛手記』によると、東條意見は「段々其後探る処によると海軍戦争欲しないようである。…海軍さういふやうに肚がきまらないならば、9月6日御前会議根本的に覆へる」「御前会議列席した首相はじめ陸海大臣統帥部の総長も、皆輔弼の責を充分に尽くなかったことになるのであるから、此の際全部辞職して今までのことをご破算にして、もう一度案を練り直すといふこと以外にないと思ふ。それには陸海軍抑えてもう一度此の案を練り直すといふ力のあるものは、今臣下にはない。だから、どうしても後継内閣首班には今度宮様出て頂くより以外に途はないと思ふということであった東久邇宮対米反対論者であったため、近衛東條意見賛成した。 翌15日から16日にかけ、近衛東條鈴木木戸幸一内大臣の間で後継内閣首相について折衝が行われたが、木戸難問未解決のまま打開策皇族お願いするのは絶対に不可、また皇族内閣戦争突入すれば皇室国民怨府となる恐れがあることを理由東久邇宮内閣反対した。木戸反対伝えられ近衛は、閣僚から辞表取りまとめ第三次近衛内閣総辞職した10月17日重臣会議開かれ木戸主張により東條後継内閣首相(兼陸相)に推挙することになった木戸東條指名したのは、天皇対す忠誠心人一倍強いためだといわれる東條昭和天皇から陸軍主戦論および駐兵固守態度についてお叱りを受けるものと覚悟して参内したが、予想反して組閣の大命受けた。さらに東條昭和天皇から陸海軍協力を一層密にするよう命じられ続いて参内し及川海相陸海軍協力命じられた。また、東條及川には木戸から9月6日御前会議決定白紙還元聖旨伝えられた。 東條内閣対米戦争踏み切った内閣として悪名高いが、むしろ近衛内閣よりも積極的に対米交渉行ったと見ることもできる東條非戦論に傾いており、外務大臣には平和主義知られ東郷茂徳迎えたまた、東條大蔵大臣候補賀屋興宣との入閣交渉では「できるだけ日米交渉努力して戦争ならないように平和に解決できるように努力したい」と述べており、及川海相後任候補となった嶋田繁太郎との入閣交渉においても「海軍軍備充実とともに外交推進」を約していた。東條交渉推進への方向転換については、陸軍内部から「東條変節」と評する声さえ聞かれたが、東條にとっては天皇御言葉絶対であった。 なお、近衛内閣崩壊軍人内閣出現アメリカ側戸惑い与えたものの、それほど悪い印象与えたわけではなかった。戦争打って出る危険性孕んでいるものの、日米間の対話継続されるというのが大方の認識であった

※この「近衛内閣の総辞職と東條内閣の成立」の解説は、「日米交渉」の解説の一部です。
「近衛内閣の総辞職と東條内閣の成立」を含む「日米交渉」の記事については、「日米交渉」の概要を参照ください。

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