近年の傾向 - 「日本語」と呼ぶことが増えてきている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 03:06 UTC 版)
「国語」の記事における「近年の傾向 - 「日本語」と呼ぶことが増えてきている。」の解説
なおJapaneseを日本語に訳す場合、政府系の文脈では「国語」としているが、近年では文部科学省の学校教育の場から離れた文脈では「日本語」としていることも多くなってきている。たとえば『日本語シソーラス 類語検索辞典』(大修館)『基礎日本語辞典』(角川)『日本語使いさばき辞典』(東京書籍)等々である。 明治初期のように日本の国境を越えて人々が行き来することが少なかった時代、そして日本語を話すのはほぼ日本人しかいなかった時代は、何も考えずに日本語を「国語」と呼んでもさほど問題はなかった。 だが現代のように人々が日々ジェット機で国境を越えて移動し、非常に多くの人々が国境を越えて世界から日本にやってきて日本で働き日本語を学ぶようになった今日では、誰に対しても日本語を「国語」と呼んで済ませてばかりはいられない状況が頻繁に起きるようになっている。たとえばアメリカから日本に来て仕事をし日本語を流暢に話すようになった人(アメリカ人)と会話している時は、日本語を「国語」と呼んでいては、おかしなことになる。この場合は「日本語」としか呼びようがなくなる。そのアメリカ人と話をしている最中まで、日本語のことを「国語」と呼ぶのは不適切だということは、少し考えれば誰にでも分かる。 また日本語を使う人と言えば日本人くらいしかいなかった時代、日本語を習得する外国人が極端に少なかった時代では、日本語を「国語」と呼んでもさほど問題はなかったかも知れないが、近年では、各国で日本語を学ぼうとする人々の数が非常に増加してきており、「学びたい外国語」の1位に日本語がランクインしている国がいくつも登場しており、その結果、膨大な数の外国人が日本の外で日本語を学ぶような状況にすでになっているわけだが、たとえばアメリカでアメリカ人が日本語を学んでいる状況でも、日本語教師がアメリカ人の学生に向かって日本語を「国語」と呼ぶのは不適切となっている。 実は、昔からフランス人がフランス語をはっきりと「フランス語」と呼び、ドイツ人がドイツ語をはっきりと「ドイツ語」と呼んでいるのには、同様の理由がある。人間が国境を越えて行き来し、国境を越えて国境の外側から互いの言語を学びあう人々の数が多い状況では、たとえ自国の公的な言語であっても「国語」と呼んだりすることは、次第に奇妙になり、困難になるのである。世界では国境は基本的に陸上にあり、ヨーロッパでは昔から国境を越えて人々の交流がさかんで、互いの言語を学習しあっていた。その状況で、自国の公的言語の固有名詞をはっきりと言わずに「国語」と呼んでは、何語のことを指しているのか不明になってしまうのである。たとえばフランス人とドイツ人が国境付近で「国語」などと言っても、いったいその表現が具体的に何語のことを指しているのか、聞いているほうにはさっぱり分からなくなってしまうのである。フランス人が外国語のドイツ語を話し、ドイツ人が外国語のフランス語を話して、日常的にフランス語とドイツ語をごちゃまぜでやりとりするような会話をすることが頻繁に起き、そのような状況で「国語」などと言っても、聞いている相手も、脇で話を聞いている第三者にも、いったい何語のことなのかさっぱり分からないのである。だから常に具体的に「フランス語」とか「ドイツ語」と明確に呼ぶ必要があるのである。 結局、国際交流が進むと、「国語」などと曖昧な表現で済ましておくことは困難になり、はっきりと固有名詞で「日本語」と呼ばざるを得なくなる状況が増え、それが次第に一般化するのである。 2004年には国語学会が日本語学会へと名称変更した。 他 なお日本人は、言語をつい「○か国語」と、国と結びつけて数えてしまいがちであるが、しかし世界には国語になっていない少数話者の言語が多数存在したり、国に複数の公用語がある場合など、国の数と言語の数を結びつけるのは適切ではないので、それを考慮する場合は、「○言語」という数えるほうが適切である。同様に「母国語」のようにわざわざ国と結びつけるようなことは避ける用語・概念の母語がある。
※この「近年の傾向 - 「日本語」と呼ぶことが増えてきている。」の解説は、「国語」の解説の一部です。
「近年の傾向 - 「日本語」と呼ぶことが増えてきている。」を含む「国語」の記事については、「国語」の概要を参照ください。
- 近年の傾向 - 「日本語」と呼ぶことが増えてきている。のページへのリンク