輸出の失敗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 09:05 UTC 版)
「サーブ 37 ビゲン」の記事における「輸出の失敗」の解説
SAABでは輸出型の『Saab 37E』を設定し、『ユーロファイター』の愛称でヨーロッパを始め世界各国に売り込みを行っていた。運用柔軟性は非常に高く評価され、アメリカでは軽量戦闘機計画の候補の一角としてその名が挙がり、共に狭隘かつ平地の少ない国土である日本を含め、世界中で購入話が持ち上がったが、結局輸出はなされず運用者はスウェーデン空軍のみに留まった。失敗の理由として、スウェーデン政府が非民主化諸国に対する兵器輸出を比較的厳しく制限したこと、買い手国がスウェーデンにとって好ましからぬ軍事的衝突を起こした際に継続的なサポートや部品供給がなされるかという不安、大国(特にアメリカ)からの強い外交圧力などが挙げられている。 インドへの輸出が検討されていた1978年、アメリカはRM8/JT8Dエンジンの再輸出(転売)許可を与えないことで間接的にビゲンの輸出を妨害したため、インド空軍は代替としてジャギュアを購入する結果となった。これと類似したケースとして、イスラエル製のクフィルも、アメリカがJ79エンジンの再輸出許可を出さなかったことが一因で、輸出はエクアドル、コロンビア、スリランカの3ヶ国に止まっている。 航空自衛隊も、ビゲンを第2次F-Xの候補の一つに挙げ調査団を派遣したが、対地攻撃とSTOL性を重視し航続距離を犠牲にした設計であり、航続性能を重視する日本の自衛隊が求める防空戦闘機としての能力はドラケンを上回るものでないこと、当時としては革新的なデザインで特異な飛行特性とされる一方で詳細が不明(当初は複座型がなく体験操縦をさせてもらえなかった)という不安、日本では馴染みの薄いスウェーデン語から翻訳したマニュアルの正確性という語学的障壁、それに加えて上記の遠隔サービス体制が懸念された。最終的に航続距離・滞空時間が短すぎると判断され採用には至らなかった。しかしながら続く第3次F-Xにおいても、一種の当て馬ではあるが再び候補機として挙げられているなど、永世中立を国是とする国の開発した戦闘機に対し、航空自衛隊は関心を示していた。
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