身代金要求書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 17:04 UTC 版)
この事件の発端は、翌朝自宅で発見された身代金要求の手紙であった。 1996年12月26日にパッツィが当局に供述した内容によると、午前5時半ごろ、コーヒーを入れるためキッチンに行ったところ、階段に2ページ半の手書きの身代金請求書を発見し、娘の行方不明に気がついたのだという。手紙には118,000米ドルが要求されていた。ジョンは現場に最初に来た警察に対し、その金額がジョンの前年のクリスマスボーナスとほぼ同じであり、その情報を入手できる人物が犯行に関与していると指摘した。捜査当局は、ジョンの会社アクセス・グラフィックス社の従業員がボーナスの金額を知っていた可能性を考えた。また、身代金要求書が旧約聖書の『詩篇』を参照している可能性があり、宗教的な情報源にも話を聞き、関連性の可能性を判断した。 身代金の手紙は極めて長文であった。連邦捜査局(FBI)は、このようなメモが犯行現場で書かれるのは非常に珍しいと警察に伝えた。警察は、手紙にはパッツィとそれを扱った当局以外の指紋がなく、感嘆符や頭文字が使われていることも異例であることから、作り物と考えていた。のちに練習用の原稿も自宅から見つかっており、いずれもラムジー家にあったペンと法務用紙が用いられていた。コロラド州捜査局の報告書は、「身代金要求書の作者はパトリシア・ラムジーであるという示唆がある」としていたが、決定的な結論には至らなかった。事件の両側から相談を受けていた法医学認定病理学者のマイケル・バーデンは、自身の60年の経験の中でこのような文書は見たことがなく、外部の他人が書いたとは考えられないと述べた。 連邦裁判所は、6人の公認筆跡鑑定士による鑑定をもとに、パッツィがメモを書いた可能性は極めて低いと判断した。裁判所は、資格のない自称専門家が、科学的根拠なくパッツィを非難することで裁判に巻き込もうとする存在を嘆いた。
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