蹄葉炎を発症し死亡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 04:48 UTC 版)
「サンデーサイレンス」の記事における「蹄葉炎を発症し死亡」の解説
2002年になるとサンデーサイレンスは相手の繁殖牝馬を近づけてもなかなか上に乗らないようになり、また飼い葉を与えても以前までは大口を開けて頬張っていたところが一口ずつ食べたいものを選んで嚥下するようになり、そのことで厩務員の佐古田は「サンデーが限界に近づいている」と感じるようになった。5月5日、サンデーサイレンスは右前脚に跛行を発症し、159頭の繁殖牝馬と種付けを行った時点でこの年の種付けが中止された。当初は外傷性のものだったためすぐに種付けが再開できるという楽観的な見方もされ、一度は快方に向かったものの、同月10日に跛行が再発。検査の結果、5月に馬房内で右前肢をぶつけた際にそこから雑菌が入り込み、フレグモーネを発症していることが判明した。フレグモーネを引き起こした細菌は、血管が少なく抗生物質の効果が現れにくい深屈腱に入り込んでいた。さらに、通常フレグモーネは外傷から菌が侵入して発症するが、この時サンデーサイレンスの脚に外傷は見当たらず、発症の詳しい経緯が不明であったことから治療に有効な抗生物質が見つからなかった。これらの理由から治療は困難を極めた。 サンデーサイレンスを繋養する社台スタリオンステーションは、イギリスからフレグモーネの専門医を招いて治療を行い、3回にわたって患部を切開して洗浄する措置が施された。3回目の手術は7月18日に行われ、直後の7月23日には右前深屈腱の断裂が確認されたものの、症状は軽くなり、痛みも和らいだ。この頃佐古田はサンデーサイレンスの飼い葉を減らす代わりに好物だったキャンディを与え、サンデーサイレンスも嬉しそうな反応を見せ、「完治するのではないか」と感じるようになった。同時期に社台スタリオンステーション関係者の間では、深屈腱が断裂していたため後遺症が残っても生活に支障がないように同施設内にサンデーサイレンス専用の種付け所を作り、翌年からサンデーサイレンスの種付け頭数を抑え、今後は同施設で末永く繫養させるというプランが浮上していた。 しかし、8月に入るとサンデーサイレンスの容態は急変し、8月5日に左前肢のレントゲン検査を行った結果、それまで右前脚をかばった負担が原因となって蹄葉炎を発症していることが判明し、サンデーサイレンスの蹄の蹄冠部には症状の悪化を示すひびが入っていた。サンデーサイレンスは亡くなる前の最後の一週間まったく眠ろうとせず、一度も横にならなかった。一週間の間は背中を丸めて集合姿勢になり、後肢二本のみでバランスを取りながら立ち続けた。8月18日、それまで打ち続けていたものよりも強い鎮痛剤が打たれ、サンデーサイレンスは倒れるように横になるとそこから二度と起き上がらず、「フーッ」と大きなため息をつくと急激に衰弱していき、翌19日の午前11時、衰弱性心不全のため死亡したことが確認された。サンデーサイレンス死亡のニュースは、日本だけでなくAP通信が速報で報じたことで、世界中にも伝えられた。 サンデーサイレンスは火葬され、社台スタリオンステーションの敷地内に埋葬された。墓の横には吉田善哉の遺品が埋められている。また、社台ファーム歴代の種牡馬たちとは離れた場所に埋葬された。産駒は2003年生まれがラストクロップとなった。最後に生まれた産駒は同年4月25日に社台ファームで生まれたアグネスサージャン(牡馬、母アグネスフローラ)であり、中央競馬での最後の登録馬となったのは2012年に引退したアクシオンである。
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