足利氏の貴種性の喪失と下剋上とは? わかりやすく解説

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足利氏の貴種性の喪失と下剋上

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 18:14 UTC 版)

足利氏」の記事における「足利氏の貴種性の喪失と下剋上」の解説

足利氏足利将軍家)とその一門衰退については、応仁の乱明応の政変永禄の変などの個々事件だけではなく足利氏室町時代通じて維持してきた貴種性の喪失にその原因求める説もある。 谷口雄太研究によれば足利尊氏室町幕府成立後軍事力のみならず儀礼整備などを通じて足利氏一門、特に将軍家貴種性を高め努力行いその結果足利氏一門別格であるという認識確立され例え同じ格式の家同士でも足利氏一門それ以外よりも上位位置づけられた。特別な功績挙げた武家にも恩賞として一門待遇与えられることはあったがその獲得維持極めて困難であった対し血統によって足利氏一門とされた武家はその待遇剥奪されることはなかった。そして、美濃源氏土岐氏のように「御一家の次、諸家の頭」(足利氏一門には劣るが、それ以外武家の中では一番の名門)と名乗る武家まで現れた。 ところが、応仁の乱の際に東西分かれた室町幕府自己支持する武士つなぎとめるために国人越智氏細川氏被官安富氏守護補任ようとした乱後も、将軍側近が「入名字」を行って形式的に足利氏一門などの養子となって幕府取り立てられている。戦国時代に入ると、地方大名御相伴衆御供衆任じるようになり、天文15年1546年)には三管領どころか足利氏一門でもない六角定頼管領代に任ぜられ、永禄2年1559年)には同じく足利氏一門ではない伊達晴宗大友義鎮足利氏一門のみが任ぜられてきた奥州探題九州探題に任ぜられた。こうした措置足利将軍から見て信頼出来る者、あるいは能力のある者を取り立てて幕府再建図ろうとした措置であったが、同時に身分間の壁が崩れたことで足利氏一門貴種性を失わせていった足利氏貴種性の喪失足利将軍側の思惑とは反対に足利将軍家室町幕府権威否定する方向日本全国広がり足利一門である守護大名下剋上巻き込まれ領国失い、同じ足利一門でも吉良氏支流であった今川氏一門秩序無視して吉良氏斯波氏破って遠江国を奪う事態生じた更には勝手に足利氏一門末裔名乗る者の出現をみたとする。つまり、谷口論考によれば足利将軍家室町幕府再建するために行った上からの改革」が、結果的にそれまで身分秩序によって維持されてきた足利氏貴種ひいては足利将軍家室町幕府権威をも失わせて結果的に滅亡至ったということになる。これに対して後北条氏支配下置かれながらも書札礼などの儀礼的な秩序の維持認められてきた古河公方(かつての鎌倉公方)が中央よりもわずかな期間であるが延命できたのは、足利氏貴種性が関東地方では引き続き有効性維持できたからと考えられている。

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