貴ノ花と浪岡で「貴ノ浪」とは? わかりやすく解説

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貴ノ花と浪岡で「貴ノ浪」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 15:00 UTC 版)

貴ノ浪貞博」の記事における「貴ノ花と浪岡で「貴ノ浪」」の解説

1971年10月27日青森県三沢市生まれる。三沢市立第二中学校時代藤島から勧誘され当初高校進学考えていたものの、両親貴ノ花贔屓にしていたこともあって入門決意1987年昭和62年3月場所初土俵踏んだ四股名本名の「浪岡」だった。 1991年平成3年3月場所新十両昇進する中卒入門力士で、4年十両昇進早い出世だが、大器期待する藤島から「1年遅い」と叱責された。藤島現役名「貴ノ花」と本名組み合わせた貴ノ浪」と命名された。藤島命名とされていたが、藤島夫人だった藤田紀子によれば貴ノ浪急逝した際に「部屋弟子四股名女将だった自分命名していたが、貴ノ浪だけは師匠藤島)が自ら命名した」と語っている。また、四股名の下の読みは「さだひろ」だが、本名は「ただひろ」と読む。 1991年平成3年9月場所では大善尊太12勝3敗同士十両優勝争い敗れたものの、同年11月場所はその大善と「高田川部屋三人衆」の一人鬼雷砲良蔵、そして終生ライバルになる武蔵丸光洋同期新入幕を果たす。この場所は初日から7連勝記録し中日勝ち越す前から新入幕力士による幕内最高優勝期待された。しかしその中日水戸泉政人敗れて連勝止まり9日目には優勝争い筆頭だった琴錦功宗倒して勝ち越すものの、残り6日間全て敗れて8勝7敗で終わった。それでも新入幕力士初日から7連勝記録したことは周囲強烈な印象残し、「未完の大器」とされて注目を浴びる注目浴びた貴ノ浪だったがその後前頭中位に留まって低迷した1993年平成5年3月場所前頭筆頭迎えると9勝6敗と勝ち越し同年5月場所小結昇進した。この場所で10勝5敗の好成績挙げて自身初の三賞敢闘賞受賞すると、同年7月場所では関脇昇進して9勝6敗、9月場所10勝5敗を挙げる活躍見せ将来的大関昇進見え成績を残す。11月場所では12勝3敗の好成績挙げて大関昇進にさらに近付いたが、「土俵際に下がりながら勝つ相撲引いて叩き込む)が多すぎて内容が悪過ぎる」という理由三賞獲得はならなかった。

※この「貴ノ花と浪岡で「貴ノ浪」」の解説は、「貴ノ浪貞博」の解説の一部です。
「貴ノ花と浪岡で「貴ノ浪」」を含む「貴ノ浪貞博」の記事については、「貴ノ浪貞博」の概要を参照ください。

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