貴乃花一門の消滅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 10:01 UTC 版)
6月20日、自身が代表を務めていた貴乃花一門から自ら離脱し、無所属になることを表明し貴乃花一門が消滅。7月場所後の理事会で全ての親方が5つある一門(出羽海、二所ノ関、時津風、伊勢ヶ濱、高砂)のいずれかに所属することが決定。貴乃花一門に所属していた親方のうち、理事である12代阿武松と弟子の12代不知火)、21代音羽山の他、20代千賀ノ浦、15代大嶽、16代常盤山の6人と、時津風一門から離脱して無所属になっていた20代錣山、23代湊、19代立田川の3人の計9人が二所ノ関一門に、貴乃花一門から離脱して無所属になっていた7代立浪が出羽海一門に所属が決まったが貴乃花だけが9月場所終了時点で唯一人所属一門が決まっていなかった。 協会に真っ向から対立した貴乃花にアレルギー反応を持つ親方もあり、なかなか所属一門が見つからなかった事態を見かねて何人かの親方は仲介に動いていた。しかし受け入れる側に対してこれまでの騒動についての詫びが必要であったため、仲介は困難を極めた。12代阿武松は、8月上旬に「若い者を育てていこう」と二所ノ関一門合流への説得を試みたという。その後に「貴乃花の受け皿になって欲しい」と電話で打診、19代朝日山が動いて貴乃花が伊勢ヶ濱一門へ加入できるよう水面下で話を進めていた。9代伊勢ヶ濱も「事件の責任もあるから」とこれを快諾していたが、一門内の別の親方が強く反対したため実現しなかったという。八角理事長の師匠である北の富士(第52代横綱、12代九重)は「最後は(理事長が所属する)高砂一門でと思っていた」と話しているが、理事会決議の遂行を図る大義からで積極的に迎え入れるというものでは無かったという。
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