豊肥本線直通優等列車の運転
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 03:21 UTC 版)
「A列車で行こう (列車)」の記事における「豊肥本線直通優等列車の運転」の解説
1963年(昭和38年)3月25日:豊肥本線の準急「火の山(ひのやま)」のうち1往復が、三角駅 - 別府駅間の運転になる。 1964年(昭和39年)3月1日:ダイヤ改正により次のように変更。博多駅・門司港駅 - 熊本駅・西鹿児島駅(現在の鹿児島中央駅)間の急行「ひかり」のうち、博多駅 - 熊本駅間系統の上り列車が三角駅始発になる。 三角線に乗り入れる「火の山」を下り(三角駅発)2本・上り(別府駅発)1本になる。1往復は熊本駅 - 三角駅間は快速列車として運転。 10月1日:東海道新幹線開業に伴い「ひかり」の列車名が新幹線に使用するため、従来の「ひかり」の列車名を、博多駅 - 熊本駅・三角駅間系統は「くさせんり」、門司港駅 - 西鹿児島駅間系統は「にちりん」に変更。 1965年(昭和40年)10月1日:ダイヤ改正に伴い、以下のように変更(1965年10月1日国鉄ダイヤ改正)。「くさせんり」は「にちりん」との併結を終了した上で、博多駅 - 長崎駅・佐世保駅間の準急「ながさき」「弓張」のうち1往復と統合し、三角駅・熊本駅 - 長崎駅・佐世保駅間の急行「九重(くじゅう)」として運転開始。なお、下り(三角駅発)の一部編成は宮地駅で解結、上下とも佐世保駅発着の編成は別府駅で増解結していた。 三角線に乗り入れる「火の山」を、三角駅 - 別府駅間下り2本・上り1本、宮地駅 → 三角駅間1本とし、全列車熊本駅 - 三角駅間も準急列車になる。なお、宮地駅始発の「火の山」は豊肥本線内は別府駅・大分駅発着の循環準急「ひまわり」に併結運転。 1966年(昭和41年)3月5日:急行・準急の料金制度の変更に伴い「火の山」を全列車急行に格上げ。 1967年(昭和42年)10月1日:このときのダイヤ改正により、以下のように変更。「火の山」の全列車が三角駅発着になり、三角駅 - 別府駅間下り2本・上り1本、宮地駅 → 三角駅間2本になる。なお宮地駅発着列車のうち併結運転を行わない1本については、運転区間が100km以内である関係上、列車種別が準急になる。 「九重」は別府駅で系統分割のされ、「火の山」などに編入されて廃止。 1968年(昭和43年)10月1日:ヨンサントオのダイヤ改正により「準急」の列車種別が廃止されたため、「火の山」は再び全列車急行になる。この改正では三角駅に乗り入れる「火の山」の本数に変化はなかったが、博多駅発着の列車が増発されたため全列車三角線乗り入れではなくなる。 1975年(昭和50年)3月10日:山陽新幹線全線開業に伴うダイヤ改正(1975年3月10日国鉄ダイヤ改正)により、三角線に乗り入れる「火の山」は三角駅 - 別府駅間下り2本・上り1本、宮地駅 → 三角駅間1本になる。宮地駅始発の列車は「ひまわり」との併結は終了。また、三角駅行きの1本は熊本駅まで博多駅行きの列車に併結の上で、熊本駅からは普通列車としての運転になる。 1978年(昭和53年)10月2日:ゴーサントオのダイヤ改正により、宮地駅 → 三角駅間の「火の山」が廃止。これ以降、1986年の三角線乗り入れ終了まで三角線に乗り入れる「火の山」はすべて三角駅 - 別府駅間の運転になる。 1980年(昭和55年)10月1日:ダイヤ改正(1980年10月1日国鉄ダイヤ改正)により「火の山」の博多駅乗り入れが廃止されたのに伴い、三角線に乗り入れる「火の山」は1往復になる。 1982年(昭和57年)11月15日:ダイヤ改正(1982年11月15日国鉄ダイヤ改正)により、三角線に乗り入れる「火の山」は2往復となる(1往復は三角駅 - 熊本駅間普通列車)。 1985年(昭和60年)3月14日:ダイヤ改正(1985年3月14日国鉄ダイヤ改正)により、三角線に乗り入れる「火の山」は下り2本・上り1本となる(下り1本は熊本駅まで普通列車) 1986年(昭和61年)11月1日:ダイヤ改正(1986年11月1日国鉄ダイヤ改正)により「火の山」の三角線乗り入れが終了し、三角線から優等列車の設定がなくなる。
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