豊肥線列車脱線転落事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 22:45 UTC 版)
「日本の鉄道事故 (1949年以前)」の記事における「豊肥線列車脱線転落事故」の解説
1941年(昭和16年)10月1日 豊肥本線竹中駅 - 中判田駅を走行していた下り列車(8620形蒸気機関車牽引)が、連日の豪雨で路盤が軟弱化していた河原内鉄橋付近で機関車と客車4両すべてが脱線し、機関車と客車2両が立小野川に転落した。大分中学校の生徒を中心に44名が死亡、72名が負傷した。のちに大分鉄道管理局局長になった人物も、この列車に乗り合わせ軽傷を負った。
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