豊登伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 08:36 UTC 版)
残された伝説、逸話は数多い。代表的なものを挙げる。 数度の金銭トラブルを起こすほどのギャンブルマニア。特に競輪に凝っていた。藤波辰爾に競輪選手への転向を本気で勧めたり、自ら自転車を手に入れて、トレーニングと称し乗り回したりしていた。 競馬にも一家言持っており、パドックで馬を見た後しか馬券を買わなかった。毛並みのつや、目、そして馬糞まで調べた。最後には「俺は馬語が解る」と言っていたという。また、競馬新聞の社長の家に1室を与えられて住んでいた。 常軌を逸した大食漢であり、好物の握り寿司を一度に250個食べたことがあるといわれる。早食いでも周囲を驚かせており、山本小鉄は「一緒にラーメンを食べに行って、こっちが一杯目を食べ終わる前に三杯目を注文していた」「色々なレスラーの中で、胃袋に関しては別格」と述懐している。 日本で初めての覆面レスラーとされる「覆面太郎(ストロング小林)」に対抗して、「ミスターZ」という青覆面のマスクマンになったことがある。 十八番は自らの手で替え歌にした「ソーラン節」。ほとんど猥歌と化していた。 失踪癖があった。これは現役引退後も続き、OB会を組織する動きが出た際、豊登の消息を知るものは誰一人としていなかった(後に判明)。 両腕を前で交差させ、脇の下から「パコン、パコン」と音を鳴らすパフォーマンスは非常に有名で、豊登の代名詞。桑田佳祐は1983年、小林克也率いるナンバーワンバンドに「プロレスを10倍楽しく見る方法〜今でも豊登を愛しています」という曲を提供したが、歌詞中にもやはり、「パコン、パコン」と小林克也が絶叫する部分がある。外国人レスラーがこの音を気持ち悪がったため、技として通用するともいわれた。新日本プロレスの旗揚げ戦でも仕上がりが悪い中でこのパフォーマンスで客の喝采を掴み取った。 山下財宝伝説を信じており、周囲のレスラー仲間に採掘の話を持ちかけたこともあった。 怪力で知られており、ある時新間寿と一緒に別府の温泉へ行って風呂に入りながら世間話をしていたら「新間にはいつも世話になっているから、一つぐらいワシの本気を見せてやろう」とタオルを左右に引っ張ってビシッと切った。また、ライトバンが山道の溝にはまったときはその怪力で一人で動かしたこともある。またグレート小鹿の回想によれば、リキ・スポーツパレスのボウリング場で、ボウリングの球をピンめがけて(転がすのではなく)放り投げたところ、球が上空に上がりすぎてしまい天井を突き破ってしまったことがある。 筋肉だけでなく骨も物凄く丈夫で、文字通り筋骨隆々であった。レスラーとしては上背がさほど無く、晩年は一般人のような体格に見えたといわれるが、火葬後の骨上げの際、その骨の大きさで周囲を驚かせた。
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