護衛空母リスカム・ベイ撃沈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 15:34 UTC 版)
「伊号第百七十五潜水艦」の記事における「護衛空母リスカム・ベイ撃沈」の解説
9月19日、伊175は呉を出港し、25日にトラックに到着。10月16日、トラックを出港しウェーク島方面へ進出。11月19日、マキンに米軍が来襲したため伊175は全速でマキンへ向かう。翌20日にはマキン島の戦いが、21日にはタラワ島の戦いが勃発。23日、伊175は奇しくもマキンとタラワが陥落したその日にマキン沖に到達。25日0100、ブタリタリ環礁南西20浬地点付近で哨戒中の伊175は、アメリカの護衛空母リスカム・ベイ (USS Liscome Bay, CVE-56)、コーラル・シー (USS Coral Sea, CVE-57)、コレヒドール (USS Corregidor, CVE-58)の3隻を中心とする部隊を発見した際、米戦艦ニューメキシコ (USS New Mexico, BB-40)のレーダーに一度は捉えられたものの、装備していた逆探によってレーダー波を探知した伊175は、ただちに急速潜航することでレーダーの誤反応と米艦隊に勘違いさせてこれをかわし、艦長が艦内放送で空母を含む米艦隊の襲撃を行う旨を宣告して襲撃運動に入った。その後、伊175は米艦隊の輪形陣をかいくぐってリスカム・ベイから約900mの位置まで接近。0205、リスカム・ベイが艦載機発艦のために艦首を風上に向けた時、期せずも伊175に横腹をさらす形になった。0210、伊175は魚雷4本を発射。うち1本がリスカム・ベイの機関室後部の船尾部分に命中し、航空機用爆弾庫を破壊。この衝撃で航空機用爆弾庫に収納されていた爆弾等が誘爆を起こし、リスカム・ベイは大爆発した。他の魚雷は、2本がコーラル・シーの至近を、1本がコレヒドールの至近を通過していった。大爆発の結果、リスカム・ベイの後半分は瞬時にして跡形もなく吹き飛び、前半分も0233に右に傾斜して沈没、第52・3任務群司令ヘンリー・M・ムリニクス少将と艦長以下乗組員644名が戦死した。なお、攻撃が成功して離脱しようとした伊175は、護衛部隊による猛烈な爆雷攻撃を受けて少なからぬ損傷を蒙ったものの、これをやり過ごして戦場から離脱し、27日にクェゼリンに到着して、伊32から燃料補給を受ける。28日にクェゼリンを出港し、12月1日にトラック島にある第六艦隊根拠地に無事帰り着くことができた。その後、特設潜水母艦平安丸の整備を受ける。 このギルバート方面における一連の戦闘に参加した潜水艦9隻(伊19、伊21、伊35、伊39、伊40、伊169、伊174、伊175、呂38)中、6隻が戦没し帰還できたのは伊169、伊174、伊175の3隻に過ぎなかった。なお、1944年に伊175が撃沈される出撃の直前に人事異動となった伊175の軍医長が太平洋戦争を生き延び、空母を含む敵艦隊の襲撃という慣れない状況ながらも米護衛空母リスカム・ベイ撃沈に係る艦内の様子を記録していたため、書籍にその様子を書いた手記が掲載されている。
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