試合出場選手等のコメント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 14:26 UTC 版)
「2007年日本シリーズにおける完全試合目前の継投」の記事における「試合出場選手等のコメント」の解説
中日の捕手・谷繁元信は「あまり完全試合というものにこだわっておらず、それよりも(点を取られるよりも前に)早く3つアウトが欲しかった」と述べた。後にYoutubeでの高木豊との対談において「7回ぐらいからすこしキレが落ちてきていたしスコア的にも、正直もう岩瀬でいいなと思っていた」と語っている。また森にどうだと尋ねられた時「代えたほうがいいと思います」と答えたという。また「勝つためにはあれがベストだった」と述べている。 最後の内野ゴロを捌いた二塁手の荒木雅博は「自分がエラーして完全試合が終わってもいいのでとにかく勝ちたかった」と述べた[要出典]。 岩瀬は「1人でもランナーを出したら、自分は批判を浴びるだろうと思った」「普段なら1イニングをどうやって点を取られずに抑えるかを考えるが、あの試合はどうやってランナーを出さずに3人の打者を凡退させるかを考えた」「人生で初めての、ものすごいプレッシャーで、正直投げたくない自分もいた」と述べた[要出典]。 立浪和義は引退後の2010年に発行された自叙伝『負けん気』(文芸社)で、「山井が拳を心配そうに見ながらコーチと相談しているところを見ているし、1点しか差がない以上、絶対的な信頼を置くことができる岩瀬にスイッチしたのは正しい選択だと思う」と述べている。 この試合の北海道日本ハムの先発投手のダルビッシュは7イニングを投げ5被安打11奪三振1失点の内容で、日本シリーズ史上初の同一シリーズ2度目の2桁奪三振を記録するなど好投したものの、味方打線が1度も出塁出来ず日本シリーズ史上2人目となる2桁奪三振での敗戦投手となった。試合後、ダルビッシュは「負けたのは僕の責任です。1点もやらない完璧な投球をしたかった。北海道のファンが待ってくれていたのに…。ヒルマン監督の最後の試合だったので勝ちたかったです。悔いはあります」とコメントした。 山本昌も引退後の2015年に発行された『奇跡の投手人生50の告白 悔いはあっても後悔はない』(ベースボール・マガジン社)で「ここではまず、僕が見たこと、聞いたことを書く。6回だった。ベンチ裏に下がってきた山井の指が見えた。皮がぺろんとむけていた。思わず「大丈夫なのか?」と尋ねたほどだった。それからさらに2イニング投げたのだ。もう限界だったと思う。ユニホームのズボンについた血を見た森コーチや落合監督が決断したということになっているが、あれは山井本人が申し出た交代だ。山井の年齢で同じ状況なら、きっと郭さんに代えてくださいと申し出た」と記している。また、別の著書『133キロ快速球』(ベースボール・マガジン社)では「確かに記録は勲章だが、あくまでも個人の”所有物”にすぎない。日本一やチームの優勝という大目標より優先することはあってはならないと思っている」とも書いている。
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