角瓶の発売と成功
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「白札」から期間を置くこと8年、1937年(昭和12年)10月8日に、亀甲模様の瓶に黄色いラベルを添えた上級ウイスキー「サントリーウヰスキー12年」が発売された。のちに「角瓶」と呼ばれるウイスキーである。竹鶴主導での草創期から長らく貯蔵・蓄積された原酒をブレンディングベースに、鳥井の企画のもと、日本人好みの高級ウイスキーとして製造されたものであった。 鳥井が幾度もピートの炊き方を変え、原酒のブレンドを試行錯誤し完成させた原酒を東京・銀座のバーなどで店主にテイスティングしてもらいヒントを仰ぐなどの努力を重ね、誕生させたスモーキーな原酒が評価されると共に、かつ山崎蒸溜所で仕込み続けた原酒が熟成を迎えたことなどが功を奏し、これが失敗したら壽屋は倒産しかないという危機的状況下であったが、おりしも日本が戦時体制に突入しつつあり舶来ウイスキーが輸入停止になったこともあり、「角瓶」は好調に売り上げを延ばしてゆく。苦節を重ねた末、鳥井の初志がついに実現する運びとなった。損失を重ねていた壽屋のウイスキー事業は、この「角瓶」が軌道に乗ったことで抱えた損失を一掃するほどの成功を収める。 そして当時、日本海軍への大量納入に成功、「海軍指定品」となったことも大きな助けとなった。巨大な軍需販路を得ただけでなく、軍需品という理由で統制厳しい太平洋戦争当時でも原料となる穀物等の供給を受けられたのである。なお角瓶は海軍だけでなく日本陸軍でも愛飲されており、一例として発売開始から約1年半後の1939年(昭和14年)5月、陸軍糧秣廠が関東軍に野戦酒保用として大量に送付した嗜好品の品目の中に「サントリーウヰスキー(角瓶)」の名で四合瓶9,600本がある(「サントリーウヰスキー(丸瓶)」4,800本とともに)。 この勢いを駆って1940年(昭和15年)には、さらに上級のブレンデッド・ウイスキー「オールド」を完成させたが、戦時下の折、当局より贅沢品と識別され販売許可は下りることなく、発売は戦後の1950年(昭和25年)まで遅れることとなった。 その間、角瓶はサントリーの最上級ウイスキーとして市場にブランドイメージを築いた。戦時中に陸海軍に従軍し戦地で「角瓶」に遭遇、日本製とは知らずにウイスキーの味を覚え、戦後に帰国して国産ブランドと知った出征者も多いという。
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