覆された陸相就任とは? わかりやすく解説

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覆された陸相就任

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 01:18 UTC 版)

多田駿」の記事における「覆された陸相就任」の解説

1939年昭和14年8月平沼内閣総辞職し後継首相阿部信行大将となった阿部内閣組閣時、多田板垣陸相後任として陸軍三長官会議陸相候補決定した候補には他に東条英機西尾寿造磯谷廉介の名が挙がっており、中でも東條推す声が強かったが、板垣陸相中心とした反対論がこれを制して多田決まった考えられている。 しかし、この決定波紋起こした阿部内閣成立深く関与した有末精三軍務課長回想によれば渡部富士防衛課長部屋来てこれでは血を見ますよ!」と述べて多田東條対立再燃警告したという。実際東條派は多田陸相就任阻止しよう活動し加藤泊治郎東京憲兵隊長が木戸幸一内務大臣多田反対要請する一幕があった。また、後継内閣陸相として新聞に名が挙がっていたのは、磯谷多田であった磯谷の名が出たのは、東京憲兵隊リークによる多田就任妨害工作との証言がある)。 人事局長の飯沼守少将第3軍司令官務めていた多田のいる牡丹江承諾を取るために派遣されたが、関東軍足止めされているうちに、昭和天皇から「陸相には畑(俊六)か梅津(美治郎)を」との思し召しがあった。 関東軍この人事に反対であり、植田謙吉関東軍司令官板垣陸相大臣留任懇請する電報を打つなどして抵抗したまた、昭和天皇新聞報道磯谷多田が新陸相候補挙がっていることを知り阿部に「新聞伝えるような者を大臣持って来ても、自分承諾する意思はない」と述べたという(天皇磯谷多田拒絶した背景には、石原(派)への警戒感推測されている)。昭和天皇は、盧溝橋事件当時現地軍の謀略ではないかとの疑惑があった)、張鼓峰事件防共協定強化問題ノモンハン事件等で板垣陸相への不信感陸軍の無統制ぶりへの怒りつのらせており、自ら一線立って陸軍統制する決意であった天皇自ら陸相指名したことは「事実上親政宣言」とも言える結局陸軍三長官会議やりなおしにより、陸相候補は畑となったため、多田陸相実現しなかった。なお、陸軍三長官会議決定した陸相候補覆されたのは、多田事例最初で最後であった筒井清忠次のように評する。 「石原(派)こそは、日中戦争不拡大派であり、この時天皇支持すべき陸軍軍人であったのだ。その石原派で、最も日中戦争拡大反対していた多田陸相就任天皇潰したのだったまたしても歴史は皮肉というしかなく、多田陸相になっていたらというイフ残り続けであろう

※この「覆された陸相就任」の解説は、「多田駿」の解説の一部です。
「覆された陸相就任」を含む「多田駿」の記事については、「多田駿」の概要を参照ください。

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