西洋哲学における直観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 00:50 UTC 版)
西洋哲学(philosophy)において、直観(Intuition)は直感と区別された用語である。一方で直感は、感覚的に物事を瞬時に感じとることであり、「勘で答える」のような日常会話での用語を指す。他方で、直観は五感的感覚も科学的推理も用いず直接に対象やその本質を捉える認識能力を指し、認識論上の用語として用いられる。第六感という表現は、ほぼ後者を指す。その混同は注意されることが一般的だが、特に(排中律)論理志向の強い研究者のなかにはこだわらない者もいる。 真理のように見えるが、我々の直観を破るような状況はパラドックスと呼ばれる(パラドックスとは論理的自己矛盾でもある)。例えば、誕生日のパラドックスがある。 イマヌエル・カントの哲学では、直観は基本的な認識能力のひとつであり、曖昧に知覚と呼ばれているものと同義である。われわれすべての精神が、空間の形相においては外的直観を与え、時間の形相においては内的直観(記憶、思考)を与えるのであると、カントは考えた。 すべての数学の知識は、直観の純粋な形式についての知識であるとするカントの主張に由来するのが、数理哲学における直観主義である。 直観主義論理は、反実在論と同じく、数学に関する直観主義を提供するために、アレン・ハイティング (Arend Heyting) やルイツェン・ブロウエル、最近ではマイケル・ダメットにより考案・推進されてきた論理学のクラスである。これらの論理学の特徴は、排中律を退けていることである。結果としてこれらの論理学は、選言的三段論法や背理法のような規則の大部分を受け入れていない。
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