西洋哲学との出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/23 21:36 UTC 版)
「19世紀の哲学」の記事における「西洋哲学との出会い」の解説
一方で、開国によって、徳川幕府や各藩(明治維新後は政府)から、多数の留学生が派遣された。彼らの多くは外国語や西洋の科学・技術や政治・経済のシステムなどを主に吸収したが、一部は西洋哲学に出会い、帰国後はその研究や発表、言論活動などで活躍する。その中でも最も有名かつ影響力が強かったのが福沢諭吉と中江兆民である。 福沢は主にジョン・スチュアート・ミルの功利主義の影響を強く受けていたといわれ、中江はジャン・ジャック・ルソーの『社会契約論』(中江訳では『民約解論』)を翻訳したことで知られる。 また、Philosophyを「哲学」と訳した西周、西洋哲学(主にドイツ観念論)と仏教との一致を目指した井上円了などがこの時代のキーパーソンとして挙げられる。
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