西洋史学とソヴィエト史学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 08:12 UTC 版)
「コルホーズ」の記事における「西洋史学とソヴィエト史学」の解説
コルホーズへの移行の原因は、ネップ期の間に大きく開いた工業製品と食糧農作物の価格差という意見が中心であるが、この評価は西洋史学とソヴィエト史学では見解が異なる。西洋史学の場合、農民には経済的自由が与えられていたため良心的な値段がつけられていたが、工場等は国家の所有であったために、不当に人民から搾取する高値がつけられたというものである。一方ソヴィエト史学においては、ソ連政府が帝政期の借金を踏み倒したために外国資本が流入しなかったことから工業の発展が遅れ、鉄鋼および電力が不足していたことから高値になるほかなかったという立場を取る。いずれにせよ、工業製品と農作物の間の価格差は、工業製品を手に入れたい農民にとって、農産物の価格高騰を望む大きな動機になっていた。これが国内の食糧不足を引き起こし、調達危機を招いたのである。
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