西洋史用語としての「諸侯」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/21 15:02 UTC 版)
日本の西洋史学では、中世ヨーロッパの封建制において、王権によって領域支配を認められ、王から封土として授けられた所領を支配する貴族のことを諸侯と日本語で呼んでいる。 イギリスでは、貴族からではなく国王から直接封土を授かった者(テナント・イン・チーフ)のうち、大きな所領を持ち有力な者を指すバロンズ(barons)を諸侯と訳すことがある。 フランスでは、もともとは地方長官であったが、次第に王権から自立・世襲化して領域支配を行った伯(ラテン語:comes、フランス語:comte)、より広大な領域を任された公(duc)、辺境領を任された侯(marquis)などの地方領主をラテン語でプリンキペス(principes)といい、諸侯と訳される。 ドイツでは、皇帝に直属する伯(ラテン語:comes、ドイツ語:Graf)、辺境伯(Markgraf)、宮中伯(Pfalzgraf)、方伯(Landgraf)や城伯(Burggraf)、公(ラテン語:dux、ドイツ語:Herzog)など(世俗諸侯)と、大司教や修道院長で皇帝から所領を与えられている者(聖界諸侯)が、12世紀頃に帝国諸侯(ラテン語:principes imperii、ドイツ語:Reichsfürst)と呼ばれる身分と認識されるようになった。 「フュルスト」も参照
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