西ドイツ/ドイツ連邦共和国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 23:54 UTC 版)
「大連立」の記事における「西ドイツ/ドイツ連邦共和国」の解説
1966年 - 1969年: キリスト教民主同盟・キリスト教社会同盟の右派陣営(CDU/CSU)とドイツ社会民主党(SPD)の間の大連立 (Große Koalition)、キージンガー政権CDU/CSU主体の連立政権が崩壊する政治的危機の中、CDU/CSUとSPDの間で増税などに関する合意が成り立ったことで西ドイツ初の大連立が成立した。この時期、非常事態法案などの懸案を可決することができたが、これは学生らの反発を呼び、1968年に大規模な学生運動が起きるきっかけになった。これを期に政権担当能力を得た社会民主党は1969年に自由民主党(FDP)とのヴィリー・ブラント連立政権を成立させ、大連立は解消した。 2005年 - 2009年: キリスト教民主同盟・キリスト教社会同盟(CDU/CSU)とドイツ社会民主党(SPD)の間の大連立、メルケル政権総選挙の結果、CDU/CSUとSPDの双方とも支持を失い議席を減らしてしまった。CDU/CSUおよびFDPを主体とする連立やSPD主体の連立ではどちらも多数派を握ることができなかったほか、SPDと左派の連立交渉が極左勢力の扱いをめぐって難航した。CDU/CSUとSPDは、公開的な政策協議を行いながら政権運営するという大連立提案で合意し、メルケル政権が成立した。この大連立は2009年の総選挙でCDU/CSUが単独第一党となり、連立相手をFDPと組み替えるまで続いた。 2013年 - 2021年: キリスト教民主同盟・キリスト教社会同盟(CDU/CSU)とドイツ社会民主党(SPD)の間の大連立、メルケル政権総選挙の結果、CDU/CSUは議席を伸ばしたものの過半数には届かず、また連立相手のFDPは惨敗して全議席を失ってしまった。一方、SPDも議席を伸ばしたが、SPD・同盟90/緑の党は左翼党とは連立を組まないことを表明しており、中道右派のCDU/CSUが、中道左派のSPDよりも左派的な緑の党や極左勢力を含んでいる左翼党と連立を組むということも政策的に不可能であった。このためCDU/CSUとSPDが再び大連立を組むことになった。 2017年ドイツ連邦議会選挙では連立与党が議席を大きく減らした。一旦SPDは連立離脱を表明したものの、中小政党との連立交渉が難航し、党員投票を経て、ドイツのメルケル首相の国政会派キリスト教民主・社会同盟左派第一党SPDとの4度目の大連立となった。しかし、右派のキリスト教民主・社会同盟と左派の社会民主党方針が異なることで対立が生まれ、メルケル首相は苦境に陥っている。そのため、独誌シュピーゲルは「(メルケル)政権に未来はない」と報道し、バイエルン州の議会選後、メルケル率いる大連立政権が一気に脆弱化すると予測している。2021年ドイツ連邦議会選挙によりSPDが第一党になりCDU/CSUは第二党に転落した。SPD・緑の党・FDPにより連立政権が誕生し、大連立は解消された。
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